山登り人生vol12初めての北ア春山合宿
No16春山合宿(鹿島槍ヶ岳~爺が岳)
21歳。地元山岳会に入会して4ケ月、初めての春山です。
以下「山日記」より
昭和45年4月26日∼5月5日
13名(氏名は省略)
4/26 佐世保⇒
4/27 西俣出合にBC
4/28 雪上訓練、BC
4/29 高千穂平AC設置に荷揚げ、BC
4/30 BCからACに入る。
5/01 鹿島槍ヶ岳
5/02 爺ケ岳
5/03 BCに下る。
5/04 下山⇒松本
5/05 佐世保着
国境稜線から眺めた剣岳が印象に残り、私を山の虜に。
北アルプスの山々に、それも春の残雪期の山に登るなって夢にも思わなかった。
連休のボッカは春山合宿のトレーニングであったが、本当に北アに行くためとは実感がなかった。
アイゼン、ロングスパッツと用具を揃えピッケルを手にした時、
行くのだなぁと思うようになった。
大型キスリングに何度となくパッキングをやり直す。
これが三日前の楽しみであった。
出発の朝、早く起きた。
前日、キスリングは西肥バス荷物預かり所に預けていたので、駅までは楽であった。キスリングを取りに行くと、「何処に行くのですか」「ちょっと北アルプスまで」。こんなやり取り交わされた。
何ともいいようのない誇らしさがあった。
もう何人か集合している。
普通の集合風景と変わらないのだが、よく見るとワカン、ピッケルといった九州の山には必要がない道具が見られる。ザックも大きく、皆の心は既に鹿島槍ケ岳に向いていた。
会長ほか大勢の見送りを受け、10時30分特急かもめはホームを後にした。
途中、上有田附近ではT先生以下高校ワンゲル部員が英岩から盛んに手を振り見送ってくれた。
トランプゲームに興じているうちに21時36分、大阪駅に滑り込む。
16分後には、急行くろよんに乗り換え発車した。
連休前であり京都、名古屋からの乗客も少なく、ゆったりと行くことができた。
山日記はここまでで、肝心の山での行動は記していません。
キスリングの重さに両腕が浮腫んだこと。
朝食のモチ入りラーメンはシゴキに感じたこと。
雪上訓練で雪ブロックが落ちてきたこと。
アタックキャンプの高千穂平では雪崩の音を何度も聞いたこと。
国境稜線手前のトラバースが怖かったこと。
主力メンバーは東尾根や鎌尾根に取り付いたこと。
下山して松本市内信州会館での食事と風呂が良かったこと。
母親の心配が大きかったこと。
などが断片的に思い出されます。
高千穂平にアタックキャンプACを設置。3日間滞在しました。
この春山合宿、剣岳の姿に感激し山の虜になりました。
鹿島槍ヶ岳は、日本百名山で3番目に登った山で九州以外では最初でした。
日本百名山というブームもなく、私にもメンバーにもその意識はなかった。