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山登り人生VOL492サトパント強化合宿冬季富士山

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め3周年を迎えました。
今年10月2日連続投稿が1126日で途切れましたが、
気をとり直し続けています。

このシリーズ「山登り人生」は、2023年3月29日から始めています。
この投稿、47歳頃の山登りです。
平成8年度の山行は11回延べ29日と
前年度比12回・15日減と大きく減少しました。
親父の入院、5月の職場異動も大きく影響したようです。

年末年始はサトパント遠征の強化合宿、
春の剣に続いて高所訓練もあり富士山が計画された。
写真は全くありません。
ネット等から借用させていただきました。

No636冬山合宿富士山(サトパント強化訓練)

平成8年12月29日∼平成9年1月3日
サトパント遠征参加希望の8名                 
島原山岳会S、高体連K・M、長崎山岳会M、県立大学生K、
させぼ山岳会M・Fと私

29日佐世保17:00⇒
30日富士吉田市8:00⇒富士スバルライン四合目13:00⇒
  吉田口登山口馬返し14:00

グーグルアースより

31日馬返し6:00→11:00佐藤小屋下幕営BC 上部でトレ13:00~
01日BC8:00→八合目上部11:30→吉田大沢→14:30BC
02日BC8:00→馬返す10:00⇒11:00溶岩温泉12:00⇒22:00大阪吹田JC⇒
03日7:30佐世保

富士スバルラインに予想外に早く到着する。
しかし、道路凍結でゲートが開いていない。
係りの叔父さんは露骨に嫌な顔をしている。
10:30には開くだろうと待機する。

無雪期

このゲートが開いたと思ったらちょっと上の所でまた足止め。
待ちに待って四合目まで上がってみたら、
ゲートを閉めるからスバルラインから出ろと言われる。
役所の規制がかかっているようで粘ってもだめであった。
滝沢林道に廻っても閉鎖してあり、
結局、吉田口の馬返しに車を停めてテント泊となる。

31日馬返しからのボッカ。堪える。
ボッカトレも1回しかしていないし…。
胃が痙攣を起こしている。食事も受け付けない。
この現象は何時頃からか、K君との立山が記憶に新しい。
40代になって体力は確実に落ちている。
佐藤小屋下に幕営BCを設置した。

1日、早朝から強風、
ラジオでは低気圧の発達と九州地方の悪天を伝えている。
4時起床を見合わせて8時頃からのサブ行動となる。
山頂泊まりは中止となった。
このサブ行動でも皆に付いて行くのがヤット、春と同じである。
長崎のM君がバテていたので私は目立たなかったが、
八合目上部で下山となりホットする。

しかし、吉田大沢に入ったMMコンビの長崎のMが滑落、
それに引っ張られて佐世保のMも、
更に一度止まったMが滑り、最後は佐世保のMが何とか止めたようだ。
約120m滑落したことになる。
手を振るMの姿に無事を確認して夏道に戻り下降する。
鳥居小屋で彼等と合流したのも束の間、
12:50鎖が張ってあるジグザグ道でKが滑落する。
10m程だったが岩や鉄柱にぶつかった分、ダメージは大きい。
幸い骨折はなく、F等が肩を貸して下降した。

2日、予想とおり昨夜半から雪となってBCでも強風となった。
しかし、天気は良い。
富士吉田から仰ぎ見る富士山は、雪煙が乱舞して美しい。
決断は正しかった。

1月27日父逝去し山から暫く離れた。
富士山行は、この8年度最後の山となった。    

2月16日長男 福岡市和白の下宿引上げ、
3月16日四九日供養を済ませた。    

1998年12月以来3度目の冬富士は、苦い思い出となっている。
最後の冬富士となりました。
富士山には22年後夏に、長男と二人登っています。


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