日本百名山㏌よっちゃん37座目立山
剣岳には昭和49年9月以来、昭和50年4月、昭和54年4月、昭和56年4月と来ているのに立山は平成6年が初めてであった。Noは山行ナンバーで1969年9月23日からの通し番号です。
よく事故に遭わずに済んだ1回目立山
1回目No586立山三山 平成6年5月2∼7日 2名 2日 佐世保20:02⇒(あかつき) 3日 大阪8:15⇒(雷鳥81号)⇒富山⇒立山⇒美女平⇒室堂→16:40雷鳥沢(幕営)
4日 出発7:00→室堂→一の越→雄山11:20→大汝山→富士の折立→真砂岳→別山→15:30剣御前小屋(天気図最悪、幕営中止し小屋泊まり7,500円)
5日 強風雨~曇り~雪。朝食6:30~待機。出発10:50→11:30雷鳥沢(幕営)
6日 雪~ホワイトアウト~新雪。奥大日岳中止し下山決定。
出発8:00→室堂⇒立山⇒12:00富山15:27⇒京都(あかつき)⇒
7日 8:30佐世保 費用75,000円
3日室堂の雪原に立つ。展望できる山々は全て眺めることができました。立山三山から北に剣御前、剣本峰、西に振ると奥大日岳と13年振りに見る眺めです。雷鳥をカメラに収めながら雷鳥沢へ。
4日朝から雨がパラついた。今日の予報は大崩れ、心配しながらも状況次第では小屋に逃げ込もうとテント撤収して出発します。一の越に出ると風が強い。このコースでは全装備担いで登る者は少なく重荷の私達は目立ちます。山頂社務所に出ると風は一段と強くなりますが、南風で気温も高く寒さは全く感じません。後で解るのですが温暖前線と寒冷前線の間、低気圧の南側に位置していたのです。雄山山頂からも全ての山が見渡せました。富山の街並み遠くに能登半島も確認できました。縦走するパーティーは少なく富士の折立までは雪と岩が混じるルートで、富士の折立からは急な下りとなり地肌が露出していました。真砂岳を越え別山への最後の登りです。別山に立つと素晴らしい剣岳の全貌が飛び込んできました。(写真場所などはっきりせず)
剣御前小屋付近は幕営禁止でした。小屋掲示の天気図を見ると日本海と太平洋側に発達中の低気圧、ここ剣周辺は唯一の晴れ区域ですがこれは束の間です。今日行動できたのは幸運で数時間後には悪天が予想されました。剣沢へ下るのは中止して小屋泊まりにしました。予想通り夜10時頃より暴風雨となり建物も震え出しました。
5日6時30分朝食。外は荒れています。剣岳は中止です。天気の回復を待ちますがこれ以上待てないと11時前には小屋を出ました。風強く濃霧ですが雨は降っていません。暫く下ると雲間から抜け出しました。雷鳥沢のテントは随分と少なくなっています。明日の天気回復を期待して幕営しましたが、夜になると雨音のように雪が降って来ました。明日の行動は無理と思いつつ眠りにつきました。写真は平成25年時の雷鳥沢。
6日小雪、濃霧。昨日は10cm以上もの雪解けで舞台のようなテント跡を作り出していたが、今朝は一面銀世界です。ガスも濃ゆく山は無理と予備日はあるものの早々に下山を決めました。室堂へもルート判断が厳しく予想もしない雪壁が現れたりと苦労しながらの行動で室堂に戻った時はホットしました。結局今回の春山は立山三山のみでしたが、事故なく下山でき良しとしました。
2回目は19年後です。
No1037立山三山 平成25年5月2~6日 4名 2日 佐世保⇒(北陸道) 3日 立山IC⇒称名川右岸河原駐車場→立山駅⇒(直行臨時バス)⇒室堂→雷鳥沢BC設置 BC近くの斜面で雪上訓練14:00~16:00
4日 出発5:20→雷鳥沢左側直上→剣御前小屋7:20→別山→真砂岳トラバース→10:00富士の折立→大汝山→10:40雄山→一の越→12:30BC
5日 BC撤収出発9:30→10:40室堂⇒(バス)⇒美女平⇒(ケーブルカー) ⇒立山駅
6日 佐世保 総走行距離 約2,170km 会費3万円
4日立山の峰々を縦走し疲れ果てテントで休んでいると、「12時35分ごろ富士の折立で福岡県筑紫野市、同県職員58歳が登山道から滑落したと同行の登山者からの通報で県警が捜索に向った。」とのラジオ放送が入って来ます。
5日朝刊によると、男女6名のグループで、我々と全く同じ日程で入山し同じ行動中の事故で、トップを登っていたリーダーが滑落したのです。我々と2時間半の時間差でこの事故は起きました。我々の時は強風のみでしたが、吹雪に変わったようです。天候変化で明暗が出たのか?BC付近でも小雪がひっきりなしに降り続いていました。
我々の行動は、真砂岳を下って鞍部から富士の折立への急な登りにかかる時、Nリーダーから「引き返しましょうか」と相談があった。進んだ方が時間は短いし先行パーティーもある。富士の折立まで登ると、後は問題になる場所はないと思い、このまま登ることにしました。
N・I・T・私の順で、私はTにピッタリ付いてアイゼンワークに激を飛ばしました。雷鳥沢側から吹き上げてくる強風に緊張が走りますが、20分程で難所を突破しホットします。頂稜部になると風も弱まり余裕での縦走を楽しみました。雄山で記念写真を撮り、一の越からの下りは尻セードを楽しみながら、室堂は通らずに直接BCに戻りました。
そして先程のラジオ放送です。新人二人からも本音が出ました。これが遭難かと頭がよぎったようです。春山に対する認識の甘さを実感したのでしょう。合宿前のトレーニングや前日の雪上訓練が、意識のうえでも役に立ったと思いました。
上写真は4日雄山山頂です。
上写真は快晴となった5日の真砂岳から雄山までの全景写真です。ヘリコプターが何度も旋回していましたが、後日の新聞では写真の裏側(内蔵助カール側)に滑落し動けず低体温症で亡くなったと報道していました。
5日BC撤収の日は最高の天気(上写真大日岳方面)でした。かなり久し振りに雪焼けし、塗っていたクリームの効果もなく唇が荒れてしまった。
新人二人には良い経験になった合宿でした。
次回は、38座目丹沢山を投稿予定です。
最後まで読んでいただきあるがとうございます。