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山登り人生VOL246県民体育大会に向けて


1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日から「山登り人生VOL1」から始め今回まで来ました。
私34歳。奥様34歳、長女9歳、長男8歳、次男3歳の頃の山登りです。

昭和58年度の山行は32回、49日と回数日数とも大きく増加した。
春の北ア硫黄尾根から槍ヶ岳、韓国ソラク山、
冬は富士山合宿には参加できなかった。
念願の屋久島に行ったり岩登り沢登りを楽しみました。
長崎県民体育大会が佐世保地区担当となり10∼11月には8日間で4日も山へ

No359多良山系板川内右俣南壁

昭和58年10月30日 
県体選手T君とK女史・E君と私
県体チームの岩登り訓練に付き合う。
ザイルが一本しかなく、1回登っただけで、後は見学する。
T君とK女史・E君は最初の17分が12分6秒まで短縮できた。

No360黒髪山系屏風尾根西稜∼名無沢 

昭和58年11月3日 
M、T女史、県体選手T君とK女史と私
Mは風邪で調子悪かったが、天気快晴でどこかやさしい所に行こうとなり竜門に出掛ける。山の家に戻ると管理人のKさん至って賑やかである。
ビールを飲みながら話に耳を傾ける。
今年で辞めるという。昭和52年頃から随分とお世話になった。

竜門ダムから青螺山を望む。正面岩峰群が屏風尾根

No361県体(多良山系)市岳連所管し運営

昭和58年11月5∼6日
SAC18名、市役所山岳部3名、選手:T君とK女史・E君(総合2位入賞)
5日Y会長宅9:00⇒10:30黒木公民館
  入山式13:00、幕営審査13:30∼14:40 登攀競技終了帰着17:20
  天気図作成審査20:00∼
6日縦走競技は黒木∼五家原岳∼金泉寺間で実施。
  踏査競技は金泉寺∼経ヶ岳∼黒木間で実施。
  オープン参加は黒木∼中山越∼経ヶ岳∼黒木間で実施8:00∼12:40 10名
  閉山式15:00∼

佐世保地区で受付・案内、幕営審査補助、登攀審査補助、縦走審査補助、
医務、通信、輸送、オープン誘導、本部とすべての支援に対応する。
私は5日は登攀競技を審査補助し、
6日は金泉寺へ登り計量を手伝う。
踏査競技のラスト(北松山岳会女子)の後ろから、
ポスト回収しながら付いて行く。
緊急連絡が入り捻挫負傷者を金泉寺から担架で降ろすこととなり、
平谷越の手前で金泉寺に引き返した。
大会は無事終わりSACの成績は
登攀1位、縦走圏外、踏査2位で総合2位の結果だった。
運営全般は会員の協力で非常にスムーズにいった。

黒木から縦走コース途中の五家原岳を望む。

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