
山登り人生vol142ビール40缶九重山行
29歳。長女4歳、長男3歳。
昭和53年度、20代最後の年です。
年間24回45日の山登りで
ここまで多良山系、黒髪山系等の山行を投稿してきました。
これ以外の山行を振り返ってみます。
ビールを40缶担いだとは本当かな?
No258九重山系(大船山∼黒岳他)
昭和54年1月1∼4日
M社長、M洋服仕立人と私
会の活動は活発です。
大山合宿やキリマンジャロ遠征など。
厳しい山には行かず、
実家など正月挨拶を三ケ所済ませ九重に向かいました。

1日佐世保17:00⇒22:15長者原(車中泊)
2日出発8:10→雨が池越9:40→10:40坊がつる12:30→鉾立峠13:10→
立中山13:35→鉾立峠13:45→14:35白口岳15:00→白口谷→16:30BC
3日出発6:35→段原8:00→大船山8:30→風穴10:15→黒岳11:20→大戸越14:05→
BC15:00→法華院入浴15:45→16:00BC
4日BC9:00→雨ガ池越10:05→11:20長者原13:00⇒
宮原⇒鯛生⇒八女⇒18:10佐世保
2泊3日の山行を終えた三人は
長者原ヘルスセンター2階の温泉に浸かり、美しい三俣山を眺めていた。
M社長は気にしていた右足痛も大したこともなく、
M仕立人は未登頂の山に登り、
私は九重山系の主な頂は全て登り、各自満足感に酔っていた。

穏やかな九重で雪も殆どなく、のんびりムードで終始した。
しかし、初日は3日間の食料に40缶のカンビールにワイン1本と
かなりの重量に喘いだ。
特にM社長はビールしか飲まない御仁だった。
こんな重さは担いだことがないと仕立人。
小さな身体に大きなキスリング、若い私がしごいているようだ。
坊がつるでは流石に堪え、手の方は膨れ上がっていた。

設営後、M社長は白口岳、
私は立中山が未踏峰だったので鉾立峠に向かった。
立中山は、大船山が眼前に迫り、
山肌のコントラストもあり、素晴らしい眺めだ。
この後、白口岳に登り白口谷からBCに戻った。

3日大船山中腹からのモルゲンロートに輝く白口岳は素晴らしかった。
段原から先は風強くなり耳カバーが欲しくなった。
M両氏とも黒岳には登っておらず
大船山から米窪を廻り込み標高差500mを風穴まで下り、
黒岳まで300mの往復、大戸越まで200mの登りである。
M仕立人は平治岳が未踏峰で一人登った。
我々は一足にBCに戻り、三人揃って法華院温泉に出掛け身体を温めた。
今夜もビールはたっぷりある。二晩続いての宴会である。
昨夜のカイロの使い方論議で盛り上がる。
M社長はロッテ製、M仕立人は桐灰製で火を起こす仕草が酒の肴になった。一つのカイロが二つの粉剤に分離されており、
これを混ぜないと効果が出ない。
振れば振るほど効果が高まる。
胡坐を組んで真ん中で前後に振るので、あたかも〇〇〇の動作である。
多いと思ったビールも飲み干した。
最後はワインで締めて就寝となった。
4日下山の日。
八合目以上は雲がかかり坊がつるも風が吹き始めた。
テント撤収し終わる頃には雲がとれ、霧氷を装った峰々が現れた。
長者原温泉から見る三俣山もまた同じく見送ってくれた。
