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雨の日の尾峠越え。岩登り講習会が思わぬ展開へ

42年前岩登り講習会の思わぬ展開の話である。2代目会長追悼を込めて振り返った。私30歳、先生49歳の頃、阿蘇鷲ヶ峰、根子岳山口谷に良く通っていた頃の話。

1980年山口谷概念図 001

当初の計画はこうだ。参加Mリーダーを始め総勢18名。9月14日鍋の平BC。15日本隊は仙酔峡移動し関門から赤ガレ谷~鷲ヶ峰~北尾根~高岳東峰~日の尾峠~BC、別隊は本隊を送った後、戻って龍尾根~鷲ヶ峰(本隊合流)。16日本隊は山口本谷~西峰~天狗峰~東峰~色見(別隊の車でBC)、別隊は色見移動し根子岳東峰~天狗峰~西峰~西尾根~日の尾峠~BC。いささか無理な計画だった。

阿蘇高岳概念図 (3)

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ここからが本題の記録だ。14日車4台で分散して地元を夕方出発。鍋の平BC入りは行程でのトラブルもあり日付けが変わった1時50分。テントは張らずオカンするが雨となる。15日雨、BC設置を諦める。龍尾根取付きの偵察もあり日の尾峠越えとなり5時30分出発。これが不運の始まり。

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チェリーキャブを先頭に高級車?セドリック、グロリヤとチェリーバン。牛除けの柵を二回避け、ジャリ路のオフロードに難儀、土砂崩れあり。峠まで1時間強も掛かってしまった。峠で引き返す勇気が必要だったが、オフロード、山岳ドライブ大好きなトップ車は突進してしまった。最悪シナリオの開幕だ。

土砂崩れ、両側からのヤブ攻撃(切り払って突破)、雨裂の路の連続(石を埋めるなど土木作業も)、小雨から強い雨へ。峠から1時間半でどうにかヤカタガウド登山口へ。他の車を見て安堵感。

宮地駅8時。ずぶ濡れではバンガロだと九重疥癬湯(ひぜん湯)に方向転換。昼過ぎまで過ごしていると晴れ間が見えて涌蓋山登山へ。

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ひぜん湯

1979年10月ひぜん湯 編集

夜中にはコンタクト外さずに寝た新人を豊後森の病院に搬入。5名は病院とまり。16日朝は天気回復。やはり阿蘇だと仙酔峡に移動。仙酔尾根は登山禁止だが赤ガレ谷はOK。

関門~G2~K1~ジャンダルム~鷲ヶ峰と登り何とか講習会の形で終えることができた。

中身は記憶が薄れているが、雨の日の尾峠越えは強烈に残っている。先生とのほろ苦い同行山行の一つである。次の写真2枚は5年後に登った龍尾根である。3枚目は根子岳西峰から見た天狗峰である。今は入山禁止だが取付いているパーティーの投稿は散見する。

1984.9竜尾根 (2)

1984.9竜尾根 (3)

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