山登り人生vol167リベンジ根子岳デルタ尾根
私31歳。奥様31歳、長女6歳、長男5歳、次男1歳
海外登山、岩登り・冬山合宿など
遠方での山行が無くなった昭和55年度を振り返えっています。
11月には来春の剣岳合宿の概要が発表され、
この連休はボッカ訓練だと盛り上がりました。
最終的には6名となり、
今年1月に退却した根子岳デルタ尾根(10月9日投稿済)に向かいました。
No289根子岳デルタ尾根踏破
昭和55年11月22~24日 6名
22日佐世保18:00⇒24:00鍋の平
23日出発8:20→南峰11:00→長尾のコル11:20→デルタのコル12:00→
P4・15:00→P3・16:30→17:00ビバーク地点
24日出発8:00→熊五郎落し基部11:00→西峰→日ノ尾峠→鍋の平14:00⇒
戸下温泉16:00⇒21:00佐世保
1月のリベンジでK君の不参加は残念であった。
ボッカ訓練と位置付け尾根上での宿泊予定で取付いたが、
厳しいルートが予想されたので荷は出来るだけ軽くと
15kg程の負荷となった。
22日晴れ。車二台出発、日付けが変わる頃到着し、牧草にごろ寝した。
昨年と違い満月の夜で快適な夜だった。
23日、南峰までは長尾尾根の直登で、3ピッチ2時間で到着した。
ここまでは踏み跡もあり、楽勝ムードである。
正面には西峰から天狗岩、東峰の山肌が迫り圧巻である。
振り返ると鍋の平から南郷谷が広がっている。
南峰から長尾のコルへの下りは、1月は深い雪に悩まされたが、
コル近くまで踏み跡があり楽に達した。
P5は正面を直上する。1月退却した場所だ。
急ではあるが難なく立つことができた。
これより懸垂下降でデルタのコルへ。
P4は一番長いスズタケの急登で、
背が低いミヤマキリシマの箇所では
壁のような斜面を登っているのは良くわかる。
スズタケから解放されると岩場が現れる。
T君がトップでブッシュを左側に廻り込み取付いたが、
ザックが重く登れない。
ザックを背中から外したところ不手際で落として、
一瞬どうなるかと思ったが10m程で止ってくれた。
T君が空身で登った後、後続を確保して登らせる。
M君が二つのザックを背負って登る。
P4を下ってP3へ。
P3は低いミヤマキリシマが繁るナイフリッジの岩峰で5m露岩が現れる。私がトップで登る。
残置ハーケン二本があったが、最初の残置は効きが甘く重ね打ちした。
次のハーケンは触るとポロっと崩れた。
ここも途中よりザックを降ろし空身で登った。
ピッチを切った場所が腰を置くだけの狭いリッジで確保する。
右足は山口谷側、左足は地獄谷側と跨いでいる状態である。
後続者のザックをM君の中継で引き上げる。
4人分しか上げられず。
二番手M君に登ってもらい、私を越えて10m程先に進んでもらう。
この10mもナイフリッジで
途中ほんの少しだが崩壊しており、かなり肝を冷やす。
結局、私が中継点となって後続が登り、
私を跨いでM君の確保に引き継ぎP3を登り切った。
P2ピナクルは右側を巻いて登りP1へ。
P1も露岩がありM君がトップで登りザイルをフィックスする。
後続はプールジックで登る。
天狗岩の基部が迫ってきたが、時間切れとなった。
ビバーク地を少し整地した。
南峰から天狗岩を眺めた時、早く終わるなと思ったが、
直線距離400m程を6時間以上も費やした。
心配された天気は満点の星空で、
煌々と輝く十五夜の月が印象的であった。
24日ビバーク地を後にしスズタケを少し登ると
露岩が現れたので、アンザイレンして登った。
ルンゼを横切りルンゼに沿ってブッシュを直上して
西尾根の熊五郎落し基部にトラバースする。
このトラバースも嫌な場所があって空身で登った。
10時半、縦走路に到着。
天狗岩には登らず西尾根を縦走し、日の尾峠経由で鍋の平に戻った。
1月の雪辱を果たし満足なデルタ尾根でした。