天上の庭「雲の平」その素晴らしさは殆ど体感できませんでした。
2007年9月親子登山の続きです。15日薬師岳に登り16日薬師沢小屋に下って雲の平へ。雨にたたられ360度の素晴らしい景観や周辺の庭園も殆ど見られず、早々に雲の平山荘に逃げ込み半日を過ごしました。タイトル写真は公開画像の転写です。
これから14年が経過し、この間何度かもう一度と企画しましたが再訪問は実現していません。遂に膝不調となりもう行くこともないかも、寂しい限りです。
雲の平山荘HPより引用 「最後の秘境」
『近代登山の黎明期、雲ノ平はそのあまりのアプローチの遠さから「最後の秘境」と呼ばれていた。
街の灯りから隔絶された北アルプスの最奥部、標高二千六百メートル付近に忽然と広がる平原、雲ノ平。その静寂の大地に踏み入ると、不思議な景色を目の当たりにする。柔らかな起伏を描く草原に点在する池塘、リズミカルに配置された火山岩、岩陰から青黒い枝葉をのぞかせるハイマツ、まるで整然と手入れされた日本庭園のような情景が歩みを進める毎に展開される。そして果てしなく広い空の下、アルプスの核心部の名山が競うように「天上の庭」を取り囲み、深い谷底からは黒部源流の沢の音が微かに響いてくる。いつしか私たちは原始の物語の世界に引き込まれて行く。』との解説がある。この景観に触れたかったのだが(涙)
16日太郎平小屋。5時朝食。
5時45分、出発。
7時50分、薬師沢小屋到着。
8時20分、ここから雲の平への急登が始まります。
雲ノ平山荘HPより引用
この『雲ノ平』は「薬師岳(2926m)」「太郎山(2373m)」「北ノ俣岳(2661m)」「赤木岳(2622m)」「黒部五郎岳(2840m)」「三俣蓮華岳(2841m)」「鷲羽岳(2924m)」「ワレモ岳(2888m)」「祖父岳(2825m)」「祖母岳」「赤岳」「水晶岳(2986m)」「赤牛岳2864m)」等に囲まれた高原台地である。 この高原台地にはいろんな名前を持つ庭園が沢山在る。(ここまで引用文)
10時20分、雲の平に入り最初にアラスカ庭園に到着。
更に雲ノ平山荘に向かって進むと「奥日本庭園」になる。10時45分。
「アラスカ庭園」「奥日本庭園」のほか、こんもりと盛り上がった小山は祖母岳で其処に「祖母庭園」、その南方には「アルプス庭園」、山荘方面に左折すると山荘周辺・東側には「ギリシャ庭園」、山荘から水晶岳方面に進むと「スイス庭園」、更に祖父岳方面に向かうと「祖父公園」、祖父岳の西側を巻くルートを取れば「日本庭園」とあるが、16日11時30分には早々に山荘に入り17日も雨でゆっくり庭園を確認し楽しむことはできなかった。
のんびり山荘で過ごし、濡れた服を乾かし腹ごしらえをした。
雲の平山荘HPより
『雲ノ平山荘は、戦後間もなく黒部川源流域に入り、道なき道を切り拓き、山小屋建設を夢見た黒部の主・伊藤正一氏が建てた4つ目の山小屋。“最後の秘境”と呼ばれたその場所は、時を経て、形を変えながらも、人が自然と向き合う場所として存在し続けています。
物語が生まれた山小屋で。
「“最後の秘境”とか言ってるけど、それはもう過去の称号だと思いますよ。親父が開拓したような頃はヘリも飛ばず、物理的に最後という意味で。当然、ガス・水道・電気もなければ、エスケープルートもない。山小屋建設不可能地帯と考えられていました。そこに営業小屋を建てようという突拍子もないことを考えた人は、親父のほかにいなかったようです」
伊藤正一氏の二男・二朗さんは、雲ノ平山荘の現小屋主。兄の圭さん同様、赤ん坊の頃から夏は黒部源流で暮らしていました。
伊藤二朗さん
二朗さんにとって、山小屋はあまりにも当たり前にそこにある日常。正一氏の名著『黒部の山賊』に登場する山賊の一人、“鬼サ”(鬼窪善一郎氏)は一番身近にいたお爺さんでした。鬼サと沢へ釣りに行ったり、大人たちの怪談話を聞いたり、いろいろな人の感触に触れて育った少年時代。おぼろげな記憶の中ではっきりと覚えていることがあると言います。
「雲ノ平に泊まりたくない、という時期があったんですよ。夜寝る前にボーッと光が見えたり、なんか音がするような気がして、すごく怖がった時期がありました。今はもうないですけど、先入観のない子供の精神が自然界の生命に触れ合って生まれる幻想というか、子供には本当に見えるものだったのかもしれませんよね」』 ここまで引用文
黒部源流の沢登りをして来たというパーティーが遅い時間に入って来た。
明日の天気も芳しくない予報だ。20時40分就寝した。
17日は黒部五郎小舎泊まり、18日に黒部五郎岳登り太郎平小屋から折立登山口へ下山予定です。
12月5日薬師岳の投稿。
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