山登り人生vol179剣岳合宿完結(会長隊と合流)最終回
私32歳。奥様31歳、長女7歳、長男5歳、次男1歳
昭和56年度は8年振りの職場異動からスタートし、
奥様の就職、次男の交通事故と変化の年でしたが、
山への回数は25回・47日と増えだしました
2年振りの剣岳合宿からスタートしました。
7回に分け投稿しています。最終回です。
その1は、「先発隊のタイム記録」です。
11月2日投稿しました。
その2は、「恐怖の三ノ窓尾根」です。
11月3日投稿しました。
その3は、「八ツ峰上半部」です。
11月4日投稿しました。
その4は、「後続隊の動き」です。
11月5日投稿しました。
その5は、「黒部別山へ転進」です。
11月6日投稿しました。
その6は、「剣岳登頂し黒部ダムへ」です。
11月8日投稿しました。
今回は、最終回として「Y会長隊との合流」を投稿します。
No299春山合宿剣岳(完結)
昭和56年4月28日∼5月6日
Y会長、M女史、O、M社長、F君、T女史、T君、Mと私
ここまでの動き
28日佐世保出発18:32(特急寝台あかつき2号)⇒
29日弥陀ケ原から歩き雷鳥沢(幕営)
30日悪天のなか真砂BC入り。後発隊、佐世保出発。
01日三ノ窓尾根退却。 後発隊、雷鳥沢入り。
02日八ツ峰上半部アタック。後発隊、剣御前岳・別山に登り先発隊と合流。
03日剣岳中止し黒部別山登頂 Y会長隊、大町温泉入り
04日剣岳登頂し黒部ダムへ Y会長隊、立山雄山へ。
Y会長隊の動き(M女史の報告より)
4日大町温泉郷6:30(タクシー)⇒扇沢駅7;30(電気バス)⇒黒部ダム→
黒部湖7:46(ケーブルカー)⇒黒部平(ロープェイ)⇒
大観峰(トロリーバス)⇒9:25室堂→一ノ越→雄山(途中退却)→
室堂(ホテル泊)
5日室堂7;46⇒8:35黒部ダム(合同隊と合流)黒部ダム10:10⇒扇沢10:50⇒
11:40信濃大町(成功祝い会)信濃大町13:27(急行アルプス8号)⇒
14:13松本16:12(松本城見学)(特急しなの12号)⇒名古屋19:03
(新幹線ひかり29号)⇒23:45博多
本隊と合流。
信濃大町で成功を祝い乾杯。
会長は東京へ。他は全員帰郷した。
国鉄は超満員、身動きできない車中となった。
6日博多1:02⇒4:48佐世保無事、
行動内容
4日信濃大町英でタクシーに乗ると
扇沢料金徴収所の先に雪崩危険個所があり朝11時で閉鎖になり、
夕方は14~16時が通行可能となる。
10時42分バスが出発したばかりで
タクシーで追いかけたが追いつかなかった。
夕方のバスでは室堂着は夜になるので大町温泉郷に泊まることになった。
チェックインを済ませ下戸の三人で酒博物館を見学した。
夜には雨が降り出し、これで良かったようです。
会長の剣岳昔話を伺いする。
4日念願の剣岳雄姿に会える。
6時半、タクシーで扇沢駅へ。
黒部ダム堰堤上は片側に雪を除雪してある。
周囲は冬景色です。
黒部湖までゆっくり歩きケーブルカーに乗ります。
黒部平まで標高差300mを5分で登ります。
黒部平からは標高差500mをロープェイで7分大観峰2,316mへ。
途中に支柱が一本もありません。
後立山が一望です。
トロリーバスで9:25室堂到着。
会長が昔来たときは針の木峠越で二日間かかった入山を
たった2時間半での室堂入りと懐かしく話をされます。
時間が早くホテルラウンジで休んでいただき
立山雄山に二人で向かいました。
5月15日の全面開通に向けてブルドーザー5台がフル稼働です。
積雪はまだ10mはあります。
トレース辿って一ノ越まで登ります。
一ノ越からの展望にも満足しました。
雄山の七合目付近まで来ると穂高や剣岳まで見えました。
念願の剣岳が見えたのです。
風も強くなり斜面もクラストして下ることにしました。
素晴らしい景色に、勿体ないみたいです。
ホテルに戻り早目のお風呂と夕食です。
明日、本隊が予定通りだと扇沢で足止め食って
6日には帰郷できないと心配ですが、
連絡はとれずどうしようもありません。
5日本隊と合流
立山三山がモルゲンロートに輝き、
刻々変わる様に見とれてしまいます。
朝食を済ませ黒部湖に戻ります。
ダムに着くとF(私)さんらが出迎えてくれました。
びっくりです。
信濃大町では会長のおごりで成功祝いの宴がセットされました。
会長は東京に向かい山形、秋田、新潟と廻って11日に帰郷されます。
松本での2時間の乗り継ぎを利用して
本隊は風呂へ
私とOさんは松本城を見学し帰路の便に乗りました。
連休最後の日で列車は大混雑です。(完)
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