山登り人生vol66冬山霞沢岳
25歳。娘9ケ月。山岳会入会5年目。
5度目にして初めて冬の上高地に入りました。
年末に西穂高岳に登り、新年の山で霞沢岳に登りました。
当時は八ミリカメラで記録しており、写真はありません。
雪洞利用でちょっとヤバイ山行でした。
No170冬山合宿(西穂高岳・霞沢岳)
昭和49年12月28日~1月4日
M、Yと私
28日佐世保16:26⇒さくら
29日名古屋乗換しなの⇒松本⇒タクシー沢渡→15:40上高地に入りBC設置
30日BC→西穂高岳山荘前に幕営
31日西穂高岳往復
ここまで冬山西穂高岳、6月26日投稿しました。
1日西穂高岳山荘前→BC
2日BC→霞沢岳(雪洞)
3日霞沢岳(雪洞)→BC→沢渡⇒タクシー松本
4日⇒大阪⇒かもめ18:50佐世保
1日上高地に下山し偵察
昭和50年、あけましておめでとう。
霞沢岳に笠雲が掛っているが、天気は悪くない。
太平洋岸の前線のためだろう。昨夜遅かったので起床は5時過ぎだった。
荷は三人共少なくなっている。
今日は上高地に下るだけ、大した行動ではない。
テント場から直ぐ急な下りがあるが、Yのバランスが悪い。
私は尻制動で下ったが転倒した。
主稜線から離れいよいよ上高地に下る。
暫くは尻制動で下る。
途中、ワカンで下るパーティーに追いつかれる。
我々も半分下った所で休憩しワカンを着けた。
初めはルート近くを歩いていたが、
下の方では直線的にルートを外して下った。
時々、腰まで潜り起きるのに苦労する。
登山口の5分ほど手前でルートに戻りワカンを外した。
今日は下るだけであったが、ワカン歩行で結構鍛えられた。
登る時に納められなかった焼岳や案内板を八ミリカメラで撮る。
河原に下り橋の下から奥穂を眺める。
今夜もテント内では、昨日のような雰囲気になった。
新年祝いもYは乗ってこない。Mと二人酒を交わす。
予備日を除いて二日間の行動日が余ったはずである。
テントに入る前に霞沢岳取り付きを偵察に行く。
大正池の方に下ったがそれらしきものはなく、
再び戻り横断幕を潜り帝国ホテルの方に行く。
昨日霞沢岳をアタックパーティーがいるのは分かっていたが、
木村小屋付近からはトレースはなかった。
まあ樹林帯を通り正面に見える尾根に取り付けば良いだろうと思いテントに戻る。
明日の行動予定を確認し、酒もなくなったのでシュラフに入る。
2日八右衛門沢より霞沢岳
Yより起こされ4時に起きる。
食事をしている時、Yは今日のアタックは止めたいと言い出した。
昨日より首から肩の痛みがとれないらしい。
明日我々が下山するまで停滞してもらうことにした。
6時出発、取付きは木村小屋から直ぐ出て河童橋の道との合流を真っ直ぐ横切って尾根に取り付くことにする。
まだ、明けていないがライトは不用である。
ワカンは道から着けて樹林帯を進む。
時々深く潜るが大したこともなく登っていると、次第に八右衛門沢を登るようになった。
尾根に取り付こうと思いながらも、
側壁は岩壁となっており仕方なく沢を登る。
ワカンの埋まり方も段々深くなってきた。
尾根の取付きを探してはいたが、その見込みが無くなったので沢を詰めると決めた。
雪崩が気になる。はやる気持ちとは反対に、足の方はなかなか伸びない。
上部では所々クラストして、ワカンが利かない所もあり緊張する。
もう稜線は直ぐである。
六百山方面の稜線を10名程のパーティーが霞沢岳に向かっている。
いよいよ稜線と思いながらも5歩登っては休み休みで傾斜もきつくなかなか届かない。
12時少し前、やっと稜線に出た。バテる寸前であった。
ヤッケを着込んで行動食を口にする。やっと景色に目を向ける。
素晴らしい展望。西穂の縦走路も奥穂、前穂、常念それに八ケ岳、南は乗鞍、御嶽山。
いくらか落ち着いた。アイゼンに履き替え霞沢岳に向かう。
アイゼンが気持ち良く軋む。風はそうないが、ヤッケは着ていた方がいい。途中、沢から見たパーティーが霞沢より引き返しておりすれ違う。
ザックを持たないメンバーも半分はいた。
霞沢には20~30分で到着する。
ピークとしては平坦頂で山頂らしくないが、やったと言う気持ちである。
一人づつ八ミリを撮り合い、直ぐビバーク地点を探す。
50m程南に吹き溜まりがあり、ここに雪洞を作ることにする。
天気良く、雪洞作りも楽であった。2時間ほどで作り上げた。
一度入口を大きく掘って、後で半分ほどブロックを築く方法でやった。
風も強くなってきたので、直ぐ雪洞に入って食事にする。
5時過ぎにはシュラフに入る。
3日雪洞埋まる。下山、上高地に別れ。
ダンマット、ツエルト等を下に敷いていたので快適な夜であった。
4時頃目が覚めたが、早く起きてもと思い5時に起床する。
いくらか息苦しい。Mは感じないらしいが、私は少し動くとそれを感じた。ローソクに火をつけても点かない。
ラジュースのメタにも。
直ぐにはピント来なかったが、多分酸欠と思い入口にしていたシートを取ると完全に塞がっている。
ピッケル一本を入れていたので助かった。
昨日、雪洞に入るときいつの日かM先生が話してくれたことを不安ながら実行していたのが良かった。
ピッケルでやっとのこと入口を掘ると、ローソクに火が点いた。
空気が入ってくるのが判る。安心する。
これも経験だと思うが、危ないものである。
場所が吹き溜まりであったので、元の形に戻ったのである。
食事をして出発するまでかなり時間が掛かった。
下山コースは、大分迷ったが一応登路を引き返そうと決める。
出発準備中、キジをもよおし外で屈んだが
吹きさらしで針を刺したような痛さに十分出せなかった。
Mは後で悠々と雪洞内で済ませる。
今日は風も強く、西穂稜線は雪煙が巻き上がっている。
雄大な積雲の堤が目前である。
稜線に出た途端に強烈な風、目出帽を下までおろす。手足が痛む。
下降点に着く。風も一段と強くなった。
昨夜、降雪はなかったようでここから下降することにした。
風板状態となっている。
下るたびに雪板が流れる所もあった。
昨日より雪崩の危険性が高まっている。
下っては上部を確認する。気休めかもしれないが。
どんどん下る。昨日のトレースはなくなっている。
走るように下る。
雪が流れ、じーっと見守る。
止まったので、再び下り始める。
随分、下まで来たので2回尻制動をした。
沢がいくらか広くなってきた。
もう終わりが近くなり、
雪崩の危険から解放されたようで気が楽になってきた。
トレースも出てきて楽な下りとなった。
登り6時間かかったが下りは1時間半で済んだ。
充実した二日間で、西穂では感じなかった冬山を感じ、
テントに戻ったのは10時近くであった。
Yも気になっていたらしく、朝早くから出迎えに出ていたらしい。
戻ったときはテントで横になっていた。
紅茶、ミルク、桃缶、残りの食糧を腹に入れ一段落した。
もう終わった。
下山の準備にかかり12時上高地を後にする。
雪がさかんに降りしきり、山は吹雪である。
入山中は良かったので助かった。
この吹雪は、暫く続くだろう。
沢渡に着くとタクシーは待っていたので、直ぐ乗り込み山を後にする。
信州会館で汗を流し夕食などで暇を潰す。
4日帰路
夜行列車に乗る。
雪のため大分遅れたが、大阪までにかなり取り戻していた。
大阪ではかもめの立席特急券が取れるが、
佐世保に着くまで大変な一日だった。
所属会では職域山岳部のY先輩より沢を登り詰めたことに非難はあったが、どうだったか。
考えても切無いが、反省点でもある。