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山登り人生vol30国体2次予選会

22歳の春、青春真っただ中。
国体1次予選は3位ゴール。
所属山岳会から3名が残り2次予選に挑戦しました。

No51国体2次予選(金泉寺・左俣ルンゼ)

昭和46年7月17~18日
諫早M、所属山岳会S・SHと私の4名(一般の部)が2次予選参加
1次予選に参加した2名は辞退した。

17日ペーパー審査(金泉寺)

いつものように佐世保駅に集合して17時30分出発する。
竹松駅前でトンチャンを買出して八丁杉に入る。
諫早山岳会のメンバーと一緒に金泉寺向け登り出す。
ホタルの光が導いてくれる。
金泉寺に20時15分到着。

高校生の天気図作成審査が始まっていた。
夕食を済ませ審査会を待つ。
選手選考は3名。
4名参加で1名が選外となる。
審査が始まる。
多良山系概念図と名称説明、短波放送聞いての天気図作成だった。

18日 登攀技術審査

『今、投稿文を書きながら、当時、国体競技に登攀はなかったがなんでだろうと・・・。』

朝から強い雨。
雨が止むのを待って八丁杉に下る。
高校生も重量チッェクして出発した。
八丁杉で安全ベルトを装着して左俣ルンゼに向かう。
水量多く、F1で登下降をトップ・ラストを交代しながら審査された。
途中より雨が再び降り水量も一段と増して来た。
審査は終わったのか?
八丁杉に引き返したが青空が見えてきた。
黒木バス停の野村商店で審判員や主催者での最終審査が行われていた。
長くかかるようだったので先にT先生とSの3名で帰路についた。
 
審査結果は、同じ会からSHが選外となり、諫早山岳会のMと私とSの3名が和歌山国体の選手に選考されました。
 

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