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山登り人生vol202昭和最後の松が尾谷

私32歳。奥様32歳、長女7歳、長男6歳、次男2歳
昭和56年度は8年振りの職場異動からスタートし、
奥様の再就職・運転免許取得など多忙な日々のなか
10月には奥様はタクシー乗車中に交通事故に遭い後遺症が残りました。
この年度は月2回ペースでの山登りで25回47日の入山でした。
5年振り四度目の松が尾谷は昭和最後となりました。
五度目は11年後の平成5年でした。 

No321阿蘇高岳松ガ尾谷 

昭和57年2月12~14日 M、Iと私
12日佐世保21:30⇒01:30仙酔峡 
13日仙酔峡8:00→松ガ尾谷関門11:00→15:30F7→本谷から枝稜へ17:00→
  18:00第1キレット(幕営)
14日出発8:00(下降)→赤ガレ谷関門上部9:00→赤谷→ノルマルダウンルート→ 
  関門→13:00仙酔峡⇒内牧温泉入浴⇒日向神岩場見学⇒20:00佐世保 
   
下界は暖かい日が続いたが、さすが松ガ尾谷に入ると氷瀑登攀を楽しむことができた。
全装備を担いだのでスピードが遅い。
℉7・15mはいつも立派な氷瀑を造りだす。
絵になるとトップで適当な高さまで登り写真に納まる。
次にIの番だが、スリップする。
アイスハンマーの打ち込みで辛うじて止まったが、怖い怖い。
さあ登ろうとMがトップを引く。
上部2m程が垂直でどうしても手(ピッケルとアイスハンマー)に頼りすぎる。次の瞬間、アイゼンが氷から離れて身体が浮いた。
再びアイスハンマーに助けられ1m程の滑落ですんだ。
今回は月例山行やスキー行と重なり3名となった。
全装備担いで鷲ヶ峰山頂に泊まろう計画し、
重荷が堪え取付きまで随分と時間がかかった。
F1はチョックストンがなくなりスッキリした氷瀑を楽しめた。
F4は相変わらず部分的な氷で、
乗越ではうっかりすると水の中に手を突っ込みそうになる。
F5は左岸の側壁を登るが、雪がなく楽勝。
これよりF6までの間は、谷も広がり明るくなる。
このため最近の暖かさが影響して氷は張っていない。
傾斜の少ない氷瀑は快適である。
出っ歯のアイゼンでリズミカルに登り、
ポーズを取って写真に納まる余裕もでて氷瀑登攀を楽しめる。
かくして最大の難関F7が現れるのだ。

1976年時のF7

Mはスリップして重荷に気づいた。荷を下して再びアタック。
ピッケル、アイスハンマー、アイゼンのコンビネーションで登るので左手の腕力も重要なポイントである。
両手は素手、滑るのであろうか。
慎重に高度を稼いで、ようやく乗越すことができた。
Iと私はアイスハンマー二本で登る。
Iの後、ザックを上げ私が登った。
アイスハンマーは先が曲がっているので、なかなか抜けない。
氷を砕いて引き抜く。
現在のバイルではこんな苦労はない。
登り終わると小指と薬指が痛い。
必死になってアイスハンマーを打ち込んでいたのが良く分かる。
核心部は終わった。

難関のF7が終わり、
右に行くとガレ場から第1キレットに簡単に抜けるが、
私達は本谷を真っすぐ登った。
F8は氷がなく、右岸を高巻きし二つ目の滝の上に出た。
この後、暫くして鷲ヶ峰下部の岩壁帯に突き当たるので、
右の小ルンゼを登る。最後の詰めである。
しかし、左の岩稜に追い込まれる。稜から先の記憶がない。
時間が気になった。鷲ヶ峰山頂泊りが厳しくなった。
稜は1ピッチで終わった。雪面を40m登るとトラバースだけになった。
第1キレットも目前となり、ひと安心する。
トラバースは雪面がクラストして楽であった。
18時少し前、到着。もう動く気がしない。
虎が峰へのルートの手頃なスペースがあったので、
整地してテントを張った。
ホワイトウィスキー1本はスキヤキと一緒に無くなった。
「Fさんと山行はいつも変わったものになる。」とのMの言葉に耳を傾けながらシュラフに潜り込んだ。
 
14日、二人はもう下ろうとの思いだったが、
一旦下って赤谷の氷瀑を楽しむ。
赤ガレ谷本谷の大滝の上にトラバースし、ノルマルダウンルートへと周回して仙酔峡に戻った。
内牧温泉で汗を流し日向神岩場を見学して帰郷した。

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