山登り人生vol88仏伊国境トリノ小屋へ
27歳。奥様25歳、長女2歳、長男8ケ月。
初めての海外遠征でした。
No196ヨーロッパアルプス遠征36日間
昭和51年7月15日~8月19日 M、Iと私
ランデックス針峰南東稜、
モアヌ針峰南稜、
モンブラン一般ルート
コスミック山稜(ミディー針峰南南西稜)
ツールロンド北壁、
マッターホルンヘルンリ稜
6座登りました。
この遠征記録は、
令和4年1月1日から5月7日にかけ
マガジン
「1976年ヨーロッパ山旅日記㏌よっちゃん」に27本投稿しています。
今回のマガジン「山登り人生」は、
山日記のスタート昭和44年9月の登山から投稿を続けています。
遂に昭和51年のヨーロッパアルプス遠征まで来ました。
前述のとおり既に投稿しています。
改めて山登りの記録を添削しながら
18日目、ツールロンドを目指す仏伊国境のトリノ小屋入りを投稿します。。
ミディ針峰からトリノ小屋へ
31日(土)観光客で賑わうミディ針峰から別れケーブルに乗り換え仏伊国境のトリノ小屋に移動しました。
コスミック山稜登攀後:
ケーブル駅15:30⇒16:00エルブロネル・ピーク(国境)→
16:15トリノ小屋(伊)BC
トリノ小屋(ビール3本13.5FF パン3個6FF チンザノ3本9FF)
翌1日(日)は、風雪のためツールロンド北壁の登攀は中止となり、
イタリア山麓の街クール・メイユにケーブルで下り街並みを散策。
トリノ小屋 起床3:00 小屋前待機 行動中止決定6:00
クール・メイユで遊ぶ9:00~15:00 就寝19:00
ケーブル100FF バス10FF 買出し33FF 軽食28FF 昼食75FF 雑誌8FF
31日記録
31日ミディー駅でコーヒーを沸かし腹拵えした後、
15:30のケーブルでトリノ小屋に向いました。
このケーブルは仏伊国境のエルブロネル・ピーク3,466mに通じる四人乗りの小型なもので、三つのゴンドラが一組で発車しています。
途中、氷河中程のピークを通過する以外は鉄塔はありません。
その代わり近くの岩峰三方面からワイヤーで吊り上げています。
クレバス帯を眼下に
距離5㎞を30分でエルブロネル・ピーク駅に到着しました。
この国境にも税関がありますが、
パスポートを見せるだけでノーチェックでした。
氷河に出てピーク北側をトラバースしてトリノ小屋に向かいます。
10分程で到着しました。
「チャオ」と挨拶され驚きました。
小屋の娘さんは日本ひいきです。
ネックレスに5円玉を使い、私達に持たないかと尋ねて来ます。
次に彼女は千羽鶴を見せてくれます。
兜の帽子を作ってやりました。
侍ジャパンと喜んではしゃぎます。
イタリア娘さんは愛想が良い。
南側窓近くのテーブルに座ります。
モンブラン・ブレンヴァの大氷壁が見えるはずですが、視界ゼロのままで残念でした。
三人ともチンザノが口に合いお代わりをします。
ほろ酔い加減で三階の部屋に移りました。
二段ベッドが10個並べてあります。
ベッド前で夕食を作り、明日は3時起床と早々にベッドインしました。
1日記録
3時起床、他の登山者の動きはありません。
暗い中朝食を済ませヤッケ、オーバーズボンを着用し外に出ましたが、
吹雪で動けません。
小屋前で5㎝程の新雪です。
強風と濃霧でどうにもならず、一旦部屋に戻りました。
装備を着けたままベッドで横になりますが、
回復の兆しが見えず6時に中止を決定しました。
小屋で停滞してもしょうがないと9時頃より行動開始。
山麓の街クール・メイユに遊びに行きました。
ケーブルで標高差2,000mを下り標高約1,400mのアントレープ駅へ。
更にバスで10分程南下すると、目的の街クール・メイユに到着です。
カフェに入ったり、古い教会や博物館など見学、散策し
パンとチンザノを買出して戻りました。
天気も回復して国境稜線は、素晴らしい展望です。
ジェアンが天を指しています。
明日の天気はどうでしょうか。
夕食を済ませ、チンザノを持って食堂に下りました。
次回はツールロンド北壁登攀を投稿予定です。
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