1992年版九州百名山の歩み㏌よっちゃん12座目祖母山-13座目傾山
九州を代表する山々です。初登は21歳時、もう51年前の記録です。Noは山行ナンバーです。1969年9月23日からの通し番号です。
12座目祖母山
初登りは13座目傾山への縦走の時でした。 No27昭和45年10月8~12日 職場山岳部5名
神原~祖母山~九折小屋~傾山~三ツ尾~鉱山跡~上畑。初めての本格的な縦走。
祖母傾山系には23回登っています。うち祖母山13回、傾山6回立っています。縦走したのは4回で平成27年には上畑~三ツ尾~傾山~祖母山~大障子岩~上畑と周回し完全縦走しました。
祖母傾縦走4回
No27神原∼祖母山∼傾山∼三ツ尾∼上畑 昭和45年10月 職場山岳部5名
No43神原∼祖母山∼傾山∼三ツ尾∼上畑 昭和46年3月25~28日 3名
No691尾平∼祖母山∼傾山∼三ツ尾∼上畑 平成12年10月6∼9日 4名
No1086祖母傾山周回完全縦走 平成27年9月19∼22日 4名
祖母山13回
No27神原∼祖母山∼九折小屋∼傾山∼三ツ尾∼鉱山跡∼上畑 5名
No43神原~祖母山~傾山~上畑) 昭和46年3月25~28日 3名
No54夏山合宿 昭和46年8月12~14日 6名
No97奥岳渓谷~イツルミズ谷~祖母山 昭和47年8月13~16日 2名
No167大障子~祖母山~天狗岩 昭和49年11月22~24日 3名
No279祖母山系縦走 昭和55年5月2~5日 4名
No419祖母山~涌蓋山 昭和61年2月8∼11日 4名
No691祖母傾縦走 平成12年10月6∼9日 4名
No744祖母山~障子岳~親父岳~黒岳 平成14年9月28∼29日 2名 No996祖母山~古祖母山縦走 平成23年10月8~10日 4名
No1046祖母山風穴コース~黒嶽 平成25年10月13~14日 3名
No1086祖母傾山完全縦走 平成27年9月19∼22日 4名
No1300祖母山と川上渓谷 令和元年8月3∼5日 4名
13座目傾山
No27昭和45年10月8~12日 職場山岳部 5名 神原∼祖母山∼九折小屋∼傾山∼三ツ尾∼鉱山跡∼上畑 No43神原∼祖母山∼傾山∼三ツ尾∼上畑 昭和46年3月25~28日 3名
No463傾山(九州58座) 昭和63年5月2∼4日 3名
No691尾平∼祖母山∼傾山∼三ツ尾∼上畑 平成12年10月6∼9日 4名
No913傾山・越敷岳 平成21年11月28~30日 2名
No1086祖母山傾山周回完全縦走 平成27年9月19∼22日 4名
祖母山~傾山周回完全縦走
まずは企画いただいたリーダーにお礼を言いたい。何度か計画したが実現できなかった周回完全縦走を成し終え、その満足感と充実感に酔っている。山から戻って三日目だが、まだ疲れが残っている。歩いた距離は約40km、累積標高は約3,650mである。
それにしても周回完全縦走が一般的になっているのかネットでも情報は多いし、今回も我々と相前後して単独行の3パーティーがゴールした。暫くは「じゅうそう」の言葉を聞きたくないとの声が漏れてきた。今回は時計廻りで実行した。体力面や車道歩きなど左廻りより楽だとの情報があったからだが、右廻りも初日8時間、二日目11時間、最終日10時間とかなりハードで気力も必要であった。特に最終日の池の原から先、大障子岩、前障子岩までの何度も繰り返される登り下りはしんどかったし、前障子岩からの標高差1,000mを一気に下るのは最後の試練であった。
気になることもあった。2年前、親父岳周辺を歩いた時、スズ竹の枯死、ブナ林の衰弱から白骨林への進展を見ていたが、このことが縦走路全体に広がっていたのである。スズ竹を掻き分け歩いた縦走路はなく、歩き易く見通しが利き風通しが良い路に変移しているのである。
以前を知らない人は何にも感じないかもしれないが、大変なことがこの地域で起こっていると感じた。大分県側での植生保護のネット張りが行われていた。これを見守るしかないのか。簡単に論評できないが、確実に祖母傾山の自然環境は後退していた。
9/19佐世保大塔IC14:40⇒湯布院IC16:40⇒長湯⇒緒方町⇒18:20登山口
9/20起床4:30
九折登山口5:40→観音の滝上→三つ尾8:25→水場9:50→稜線11:15→12:00傾山12:30→13:55九折越(幕営) 8時間15分行動
9/21起床4:30
出発5:30→笠松山分岐→本谷山8:00→尾平越9:30→古祖母山12:00→障子岳13:25→黒金尾根分岐14:25→祖母山16:00→九合目小屋16:30→16:45天場(幕営) 11時間15分行動
9/22起床4:00
出発5:20→宮原→池の原展望台→八丁越8:10→大障子岩8:50→前障子岩分岐11:10→水場13:15→上畑14:20→九折登山口15:20(完全縦走達成) ⇒上畑⇒ 10時間行動 原尻の滝(食事)⇒竹田温泉(入浴)⇒長湯⇒湯布院IC⇒佐世保
総走行距離550km 一人当たり参加費7,000円
19日入山は湯布院ICから長湯温泉へと南下して緒方町を経由した。初めての経路だがナビの指示である。約4時間、明るいうちに九折登山口の駐車場に着いた。既に10台程の車が駐車している。私は軽量化を図りシュラフなし羽毛服に、食糧も減らし最低限の個人装備にした。結果、ザックは40ℓにしたので共同装備の分担は焼酎1升にテントフライ、テントマットに留まった。他のメンバーに迷惑を掛けたかもしれない。ごめんなさい。
20日朝、駐車の車は20台を超えていた。夜中、早朝の入山者があったようだ。今回はF君がチーフリーダーとなり企画したことに大きな意義があった。若手が頑張ってくれると嬉しくなるし、初の周回完全縦走に気持ちも高揚している。
観音の滝まで来るとライトは不用になっていた。沢を横切り林道に出て急登は更に続く。三ツ尾まで来ると急登から解放されるがペースが上がらない。足の痙攣に襲われるメンバーも出て坊主岩コースから水場コースに変更した。
約1時間の短縮ができる。水場は十分な水が流れていた。稜線に出ると単独行者と再会する。彼とはゴールまで前後した。山頂手前では怖い岩場跨ぎがあったが、無事到着した。
今回、一番の天気で展望も素晴らしかった。
22日までのコースが全て見渡せた。空の雲も素晴らしい。このまま山頂で寝過ごしたい気持ちである。
途中、九折越の先までと頭をよぎっていたが、皆さんその気は無くなっていたようだ。九折越までとお互い確認し、最後の下りだと元気を出し今日の天場に到着した。
21日4時30分起床。朝寝坊したが5時半には出発できた。出発して長くせず背後が白みはじめ傾山の南側から陽が登ってきた。笠松山から本谷山までは大きな起伏はなく順調に踏破する。
本谷山からの下りはかなり長い。尾平越手前の小広場の宮崎県側には水場がある。数メートル下るとかなりの水量で流れているようだ。昨日から相前後している単独行者は補給している。
尾平越から大分県側のトンネル入口に下るコースは、荒れているようだ。宮崎県側にメインは変わった感じがした。いよいよ古祖母山への長い登りが始まった。昨日、体調不調のメンバーは回復した。古祖母山頂まではいくつかのピークに騙されながらの到着となった。
本谷~尾平~古祖母の標高差約400m下って400m登るのが本日のハイライトか一番堪える。山頂で二組の単独行者が一緒に到着した。単独行者も仲間が欲しいのだろう。お先にと声を掛け障子岳を目指した。
この区間もスズ竹の枯死、ブナ林の衰弱から白骨林への進展が多く見られた。障子岳に到着するとゴールは目前であるが既に8時間は歩いており、「ガンバ」の声を出しながら最後の頑張りであった。最後、標高差160mの梯子登り岩登りをして祖母山頂に到着した。
残念ながら雲がかかり、遥か遠くの傾山は見えなかった。見えればよく歩いたなあ~と感激もひとしおのはずだが残念であった。天場は小屋下、宮原への縦走路にあった。到着が遅くなり、既に多くのテントが占拠していて、なんとかスズ竹の中に探し出した。
22日4時起床。5時20分出発。地図が3種類あり所要時間にかなりの差があった。私の地図では7∼8時間を見込んでいた。遅くとも13時には到着と思っていたが、最新版の地図の時間に近い所要時間となり10時間15分の最終日となった。
池の原展望台というビューポイントも記憶は全くなかった。展望台から八丁越まで上下を何度も繰り返され、ルートもはっきりしないしかなりしごかれた。
大障子岩の大岩壁(上写真)はかなりの迫力である。どこにルートがあるのだろうと目を凝らしたが、右側端の樹林帯を木の根を掴みながら登った。山頂からの展望は、ここも最高である。九重山群がはっきりと確認できた。
大障子岩から前障子岩間の岩尾根も疲れた身体には堪えた。前障子岩はコースから外れている。廻り込んで山頂はカットして標高差1,000mを一気に下ることにした。下りなのにペースはダウンする。大堰堤が下方に見え出し、完全縦走の完結は真近かとなった。
親切なばあさんの冷たいものの勧めを遠慮して健男社入口に到着した。
ここからは誰か一人が車を取りに行けばいいのだが、完全に一周と言うからには全員九折登山口まで歩こうと最後の力を振り絞りスタート地点に無事ゴールした。
次回は14座目大船山、15座目黒岳を予定しています。