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山登り人生vol146剣岳小窓尾根その1

30歳。長女5歳、長男3歳。
昭和54年度、30代の始まりはヒマラヤ遠征断念から始まりました。
年間14回33日の入山と回数は大きく減少しました。
第3子目の妊娠がわかり山登りも少なくなったようです。

No266春山合宿(剣岳小窓尾根)


ヒマラヤ断念から立ち直るため4年振り3度目の剣岳に向かいました。
長女・長男の名前由来の山です。
好きな山はと問われ、即答する「剣岳」です。

昭和54年4月27日∼5月4日
M、Kと私
4/27   佐世保18:39(特急あかつき2号)⇒
4/28曇り 大阪7:25(急行立山1号)⇒富山⇒
     上市13:50(タクシー)⇒馬場島15:05→白萩川取水口16:00→
     右岸(池ノ谷出合手前)17:30 
     就寝21:00
4/29曇り 起床4:00
     出発6:00→小窓尾根取付7:00→P1614m9:00→13:00ニードル手前
     就寝21:00
4/30雨のち雪・風強し 気温0度 新雪30cm 
     停滞 起床5:30 就寝20:00
5/01風雪強し 気温0度 新雪20cm。   
     停滞 起床9:00 就寝19:00
(以下「その2」で詳しく。)
5/02高曇り 小窓尾根完登→剣岳14:25→15:10平蔵避難小屋 
5/03晴れ 別山尾根→室堂→天狗平⇒美女平⇒立山⇒富山⇒
5/04晴れ 大阪⇒佐世保

入山 ・池ノ谷出合手前幕営

27日佐世保駅、会員の見送りを受け車中の人となる。
28日上市より眺める立山連峰は、すべて雲の中である。
タクシーで馬場島に向かったが、駅前にピッケルを忘れ引き返す。
馬場島の登山指導所に計画書を提出する。

昨日新雪10cmと気を付けるよう指導を受ける。
雲の高さが気になるが雨は降りそうにもなく、白萩川左岸の道を歩き出す。早月尾根からの枝沢を横切る際、流れの中に片足をジャポン。
ちょっとした油断で靴の中を濡らしてしまった。
プラグナ谷出合の直ぐ上で橋を渡り右岸に移る。
ここより雪道となる。取水口に到着する。
ここを境に白萩川は狭くなり岩壁が迫って来る。
取水口手前よりコンクリート護岸を伝って
川原に降り飛び石伝いに左岸に渡る。
堰堤を登ると流れに行手を阻まれた。渡れる場所がない。
左岸尾根から高巻きを試みたがルートは取れず、渡渉することになった。
冷たい白萩川の流れに素足を入れる。
中程まで来ると冷たさに痛みを感じる。
早く渡ろうにも足場が悪く大変な渡渉だった。
渡り終わると足は真っ赤でホッテている。
右岸に渡って赤谷尾根側に少し登って、再び白萩川に降りる。
ここから白萩川は雪渓下になった。
周囲はガスに包まれ上方の眺望はきかない。
そろそろテン場を決める時間になってきた。
今日までは大地の上でと思っていたが、

池ノ谷出合。ネット借用

池ノ谷出合手前の右岸雪渓に設営した。
ささやかに入山を祝った。

小窓尾根に取り付く

29日、小窓尾根の取付が判らなかった。
追い越した5~6名パーティーの後に従ったが、ちょっとおかしい。
引き返して見つけることが出来た。
先行パーティーも戻って来た。
大窓に行くのかと思っていたが、彼らも間違っていたようだ。
急な登りだが樹木があり緊張感はない。

池ノ谷。ネット借用

2日前の新雪も安定して雪崩の心配もないようだ。
1時間半で支稜の上に出て一息つく。
対面には赤谷尾根から北方稜線を手近に眺めることが出来た。
今回は2台の8ミリカメラを持参し、
トップとラストから撮影し記録映画を作成することにした。
再び急な登りが続く。
トレースだけ見つめながら黙々と登る。
左前方には赤ハゲ、白ハゲの稜線を確認できる。大窓も見える。

傾斜がゆるくなり白一色になるとP1614m地点である。
取付きから2時間、割と広くテント数張は張れそうだ。

小窓尾根、池ノ谷上部を見る。ネット借用

ここからが小窓尾根の始まりというか、
右に落ちれば池ノ谷、左に落ちれば白萩川となる。
暫くは、上り下りの少ない稜線が続いたが、
いよいよ雪壁といえる急なルートが随所に現れてきた。
最初の壁では乗越でザックのスコップが雪面につかえバランスを崩した。
幸いブッシュを掴むことができ大事に至らなかった。
急な雪壁も慣れてくると傾斜をそう感じなくなる。
ここからは堪らなく急な箇所には、フィックスザイルがあった。
しかし、雪に埋もれている箇所が多く、冬季のものと直ぐ分る。
比較的長い雪壁を登ると
P1614mから見た池ノ谷からの支尾根上部に達した。

ニードルを見上げる。ネット借用

眼前にニードルの峻峰が立ちはだかっている。
今日はここに幕営することにした。
剣岳、なんと素晴らしい山だろうか。
チンネから続く主稜線、二俣から一気に突き上げる剣尾根、
べったり雪をまとった早月尾根、どれをとっても心に焼き付くものがある。

5年前、長女に「〇〇〇」と命名して以来、
小窓尾根は登りたい気持ちと残しておきたい気持ちが交錯していた。
ルートへの不安もあったが、今、ここまで登って来た。
感傷に浸る間もなく、
今までの青空は消えて、ガスが沸き上がり、風も出て来た。
いよいよ荒れて来そうである。

ニードル手前、吹雪停滞二日間

30日、昨夜シュラフに入った時は風だけであったが、
夜中12時頃より横殴りの雨が降り出した。
テント廻りの雪ブロックも融け崩れたのか、テントが激しく揺れ出した。
グラスファイバーのテントポールが真ん中に寝ているK君の顔に当たる。
風上になった私は、テントに包まれた格好になった。
吹き飛ばされるのではと不安になる。
シュラフの中で避難体制をとり装備状況を頭で確認する。
シュラフが濡れだしてきた。
新聞を敷くが、これも濡れだし我慢できなくなる。
K君に声掛けると、待っていたかのように起き出した。
まだ風は収まらないが、
外に出て張綱のやり直しなど補修すると、居心地が元に戻った。
雨はミゾレに変わり、雪に変わっていた。
春山から冬山へ状況は一変した。
ハイマツは樹氷となり、岩にはエビノ尻尾を付着させた。
半日かかってシュラフを乾かした。
昼を過ぎると外に出られるようになった。
雪ブロックをやり直した。
テントを完全に囲み強風に備えた。
16時の天気図で二つ玉低気圧の通過を確認した。
明日までは2次的な前線の影響で、明日も停滞と決め夕食にした。
今日の新雪は30cm、外は再び吹雪となり、テントは静まり返った。
快適な睡眠を期待しよう。

2013年時の立山。記事とは無関係

1日、静かな朝である。
と言うのもテントが半分、雪に埋もれ風を避けていたからだ。
暖かいシュラフにくるまり気持ち良く横になっていると、
K君がキジ打ちしたいと騒ぎ出した。
テントは半分埋まっているうえ、外は吹雪だ。
簡単に外には出られない。
「中でせろ。」とのMの言葉に、
出るに出られぬ籠の鳥と諦めたのか、
ビニールに放尿して安堵したようだ。
吹雪の中から人声がする。
遅れを取ったと気になったが、無理せず明日に備えた。
昼からは二俣から登山者が登ってきた。
ガスの中から突然現れ驚いたが、地元上市山岳会の人達で、デポ荷を取に来たのである。剣尾根を目指すようだ。
小窓尾根上部の様子を聞くうちに、三菱電機長崎製作所山岳部のK氏の話となり、ヒマラヤトリスル遠征失敗の話と長話となった。
16時の気象通報で明日の行動を決め、夕食後、直ぐシュラフに入った。

2日からの行動は、次回「その2」に続きます。
明日26日、投稿予定です。

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