山登り人生VOL371阿蘇月見小屋
1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め2年10カ月、
このシリーズ「山登り人生」は一年経ちました。
40歳頃の山登りです。
平成元年度は山行回数15回、延べ日数38日と
前年度比9回・15日と大きく減りました。
職場異動が大きく影響したようです。
4月に取得した旅券、利用する機会がでてきました。
台湾玉山への計画が動き出しました。
No494玉山顔合わせトレ(黒髪山系)
平成元年9月15日
K君、M社長、Mタクシー社長と私
東商業グラウンド(宮杯ソフト)9:30⇒竜門10:50→青牧峠→青螺山13:00→
見返峠→竜門14:00⇒東商業グラウンド
玉山はSAC5名で決まりそうである。
顔合わせで青螺山に登る。
祖母山でも感じたが足に力が入らない。
日頃のジョグなど再開しなければ若年寄りになりそうだ。
少年ソフトは大村の男女混合チームに5対4で負けていたが逆転優勝した。
No495阿蘇月見小屋
平成元年9月22~24日
M君、S女史、M社長、M夫妻と私
22日佐世保20:00⇒23:30仙酔峡 就寝2:00
23日出発10:00→仙酔尾根→稜線12:00→12:30月見小屋前幕営 自由行動
24日出発9:00→仙酔峡10:30⇒内牧温泉⇒18:00佐世保
藤原君の不参加で岩登りはパスかと気合が抜けたが、
ボッカすれば良いとの気持ちで参加する。
赤ガレ谷には入らず山頂だけののんびりした山行となる。
23日早朝M夫妻とMrゲルマン氏も合流する。
彼は41歳、米駐日大使館勤務で来日2年になり
帰国を前に日本各地をヒッチハイクで回っている。
先週、M夫妻とS女史が霧島高千穂河原で出会って
阿蘇で再会いましょうと今回の合流だったようだ。
月見小屋泊りで幕営食料など担いで仙酔尾根を登る。
Mrゲルマン氏と変な日本語・英語で話しながら登る。
多量の火山灰が積もっており手は真っ黒になる。
八合目以上は曇り、中岳は一次制限の噴煙を高々と上げている。
月見小屋周辺はガスがかかり何も見えない。小屋前にテントを張る。
M夫妻、S女史とMrゲルマン氏は中岳の噴火の様子を見に行く。
他は自由行動で散策に出掛ける。14時過ぎには薄日が差して来た。
南東の風で噴煙はこちらには流れてこないが、
かなりの火山灰を吹き上げているようだ。
夕食は豪華なスキヤキ。チンプンカンプンな会話だが楽しい夕餉だった。
夜中は満天の星空。こんなに綺麗な星空は久し振りだ。
24日朝から西の風に変わり、視界は利かずテントも降灰だらけだ。
降灰がひどく予定変更で真っすぐ仙酔尾根を下ることにした。
口や鼻の中にも入りだし、息苦しささえ感じはじめた。
こんな阿蘇は初めての経験であった。
M夫妻はMrゲルマン氏を久住まで案内し別れた。
我々は内牧温泉で灰を洗い落とし、一息ついた。
ひと風呂浴びたら腹も減り、
食い放題1,000円の店でリッチな気分となり帰路についた。
※10月10日チャレンジ登山は失礼して少年ソフトの応援へ。
チャレンジ反省会(会長宅)には顔を出し、
その後にソフト反省会(小田宅)へ
※10月15日九十九島コスモスロード 10㎞ 52分
※10月26日山縣会長夫人ご逝去。
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