山登り人生VOL285耳川水系角割谷
1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。
私36歳。奥様36歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。
8月12日日航ジャンボ機、群馬県オスタカ山中に墜落、死者520名と最悪の航空事故となり、人気歌手の坂本九さんも含まれていた。
久し振り遠出の沢登りでしたが、燃焼できない山行でした。
この椎矢峠越えもここ数年の大雨で通行止めが続いていたが・・・今は?
No402耳川水系角割谷
昭和60年8月14∼16日 6名
14日佐世保19:30⇒内大臣⇒02:00椎葉(椎矢林道)
15日出発7:10→第8堰堤7:30→二俣8:30→左右から連続して支谷(核心部)9:15→
二俣1123m10:40→林道(終了)11:35→12:25雷坂取付(昼食)12:55→
本流合流14:20→道15:10→15:50耳川本流
16日大雨。上の小屋谷は中止し帰路
完全燃焼できない山行となった。
三日間の予定だったものの天気悪く角割谷一本のみになった。
耳川源流は向霧立、霧立山系に囲まれた椎葉ダム上流域で、
椎矢林道を走行された方なら、深山幽谷の景観はご存じを思う。
内大臣峡を深夜に通過、椎矢峠を越えて椎葉の里に入った。
人家が現れるには程遠い林道横にテントを張り
寝酒を飲んで寝入ったのは3時頃だと思う。
15日晴れ時々曇り、雨。
椎矢林道を少し登り第8堰堤標識のある場所から耳川に降りる。
水量多く、
角割谷出合の下流で浅い場所を徒渉して山を越え角割谷に入渓する。
直ぐ両岸が迫り浅い廊下状となるが遡行は単調である。
八代ドッペルの記録によると斜滝4m、1m、4mチョックストーン、2m、斜滝3m、2条2m、5m、・・・滝が続く・・・」と驚く程の詳しさであるが、私達にはあまり確認できなかった。
水量が多いので流石のY氏も泳ぐことはなかった。
天気も思わしくなく寒いほどで汗をかくことはなかった。
標高950m付近が核心部だったか、
標高1123m地点から右俣に入ると、
谷も単調となり細くなって望み薄となった。
標高1400m付近で林道に出て終了となった。
この林道を50分程南下して雷坂登山道に合流した。
現在位置がはっきりし安心して昼食とした。
ここから北東に角割谷に向かっている谷に入る。
暫くは土砂の急な下りで気が休めなかった。
変化のない谷を1時間ほどで角割谷が直下に見えて来た。
核心部付近で右岸を高巻きして急坂を一気に角割谷に降り立った。
角割谷を下降すると右岸に小径があり、
これを下ると40分で耳川本流に出ることが出来た。
第8堰堤下だった。
ここも高巻きで対岸に渡り椎矢林道に登った。
この角割谷は、大きな滝はないが、小滝多く面白い谷と紹介されていたが、充実感・満足感はそう湧いてこなかった。
人と車のガソリン補給のため林道を下る。
途中、明日の上の小屋谷出合を確認する。
今日以上に水量は多そうだった。
ほどなく集落に着き、ガソリン・ビールと補充してテントに戻った。
16日は大雨で、上の小屋谷は中止する。
写真はネット借用です。
椎矢峠を越えられるかとさえ心配になった。
リグは雨で濡らし調子が悪くなり、楽しみのQSOは出来なかった。
若手会員3名は南ア北岳バットレス~白根三山縦走に向かっていた。
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