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山登り人生VOL278冬富士の氷雪技術研修

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。
私36歳。奥様35歳、長女10歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。

昭和59年度の山行も最後になりました。
この年度は仕事も超忙しかったし、
私生活でも慌しく山行回数は大きく減少しました。 

No395富士山(指導員氷雪技術講習会)


昭和60年3月21~25日  
長崎山岳連盟から長崎商科短大山岳会Mと私

21日佐世保8:15⇒三島(泊)
22日三島⇒バス700円⇒御殿場バス乗換1,100円⇒10:40富士吉田10:55
  ⇒タクシー1,800円⇒中の茶屋11:30→馬返13:15→三合目14:35→
  四合目15:10→16:10佐藤小屋
23日出発7:00→六合目アイゼン着用7:35→
  七合目8:30(滑落停止の訓練)9:30→八合目10:00→
  12:50富士山頂13:10→15:00七合目(滑落停止の訓練)17:30→18:30小屋
24日出発7:00→7:30屏風尾根末端雪壁(雪上訓練)10:30→10:50小屋11:45→
  中の茶屋13:50タクシー⇒富士吉田14:30バス⇒御殿場15:45⇒沼津
25日14:00佐世保

 日本山岳協会の氷雪技術研修会に出席のチャンスがきたので
仕事が忙しいなか参加した。
全国から50名が佐藤小屋に集結した。
二日間、指導教程、検定基準に基づく氷雪技術の研修を受けた。
指導に当たるのは1種指導員。参加者5名に1名の指導員と中身のある研修を受けることができた。

 21日8時15分みどりで出発。
Mさんとは博多で合流できず心配したが、名古屋で合流。
三島に夕方到着し小さな宿に落ち着く。体調悪し。山が心配である。

22日バスで御殿場経由富士吉田へ10時半頃到着。
日山協の増子氏と会い4人相乗りして中の茶屋に向う。
ここ辺で積雪20cm。佐藤小屋に16時半頃到着。
今日は佐藤小屋に集合するだけで、夕食後、自己紹介の後ミーティング。
腹の調子依然として悪く、食が進まない。

23日4グループに分かれて7時出発。
頂上タイムリミットは12時。
わが班は途中、滑落停止の訓練をしたこともあって、
オーバーしたが増子氏の判断もあり、山頂に立つことができた。
12時50分富士山登頂の時はバテてしまった。

他に女性がバテていたこともあり助かった。
下りも七合目付近で滑落停止、スタンディングアックスビレー、コンティニュアンス大阪方式などを習う。
他のパーティーより遅くまで訓練する。

24日春山日和。唇が焼けるのが分かる。
今日は吉田大沢を横切って屏風尾根末端の雪壁での訓練である。
小屋からそう遠くもなく、より実践的な訓練として基本班は60度の斜面で、応用班は70度の斜面での訓練となった。

内容は昨日の繰り返しである。
3時間程の訓練で小屋に戻る。

閉山式では

①初心者のためでなく自分への訓練を忘れるな。
②技術は自分の体力・装備・考え方で変わる。
③誤った技術が会の伝統になっている。技術に100%はない。
④防御技術を大切に、攻撃的技術ばかりに目を向けると、
 その人の山行は短いものになる。
等々の訓話がある。

二日間天気も良く、十分に訓練ができ満足して下る。
気づくと霧氷が解け落ちている。
中の茶屋からの雪はすっかり溶けていた。春は足早である。

富士吉田からバスで御殿場へ。
汽車を乗り継ぎ沼津へ。
季節特急に乗車できひと安心で、乗車するなりバタンキューである。

 滑落停止

従来は「手にブレードとハーネスの近くに位置し」ということであったが、今回はプレートやヘッドを両手で握り、
身体を丸めたが良いとのことだった。
特に体力のない人や女性は、これしか止めれない。 

ビッケルバンドの長さ

小西政継氏などのバンド不要論もあるが、
それは彼らぐらいの技量がある人の場合で、
普通の人は図の長さが確保できる程度にしてもらいたい。 

スタンディングアックスビレー

スタッカトで登っている時、トップが滑落した場合の確保に有効で、
確保者は滑落者に負担なく確実に止めることができる。 

大阪方式コンティニュアンス確保

コンテで登っている時、一方が滑落した場合の確保方法で、
現時点ではこれしかないという方法である。
研修を受け効果は素晴らしかった。 

 

 

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