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山登り人生vol122雷山スキー行
28歳。長女3歳、長男2歳。
昭和52年度は黒髪づくし龍門づくし、この山行を振り返りました。
年間34回50日の入山でした。
24回は黒髪山系でしたが、黒髪以外はこんな山登りでした。
昭和52年度後半の山登り⑤⑥
No236雷山スキー
昭和53年2月5日 7名
雷山でのスキーは、これが最初で最後です。
登山では昭和50年1月,
最初に雷山山頂に立ち、
昭和56年には長野峠よりスキー場を経て山頂に立っています。
これまで12回の登山です。
今回は、U氏の記録より投稿します。
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月曜日から水曜日まで雪が続いた。
スキーができるぞと話が纏まり出かけた。
会長宅6時55分出発。伊万里、唐津を経由して雷山入り。
途中の集落から上はチェーンが必要となり期待を持たせる積雪であった。
雷山山荘の駐車場(500円)に止め、スキー場まで歩く。
30分歩いて草原状のスキー場に着く。
ブロックでできた避難小屋に貸しスキーがあった。
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エッジ付で2,000円、エッジなしで1,500円。
エッジなしのスキー板は初めてである。
しかも靴なしと言う。
使い古した時代遅れの廃棄板をまとめ買いして来た感じである。
あまりの道具の酷さと、
靴なしで2,000円という値段の高さに借りるのやめようと思った。
わざわざ遊びに来た甲斐がないし、
このボロ板も借り手が多くて在庫が殆どないらしい。
ぐずぐずしてはおられず借りることにした。
靴付き近代的スキー板を想像していたSは、登山靴を取りに車に戻った。
ともあれ来たからには楽しくと思い、荷物を木立において滑りだした。
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早速、スッテンコロリ。
それにしても板が滑らない。
雪が湿って状態が良くないこともあるが、なにしろスキー板がところどころ切れている。
M女史の板に及んでは裏にビニールが打ち付けてあり、
そのビニールが剥がれている。
板とビニール間に雪が詰まって、板の裏はデコボコ状態である。
それでも皆は、力量にあった場所で滑っている。
皆の滑りを覗いてみよう。
F(私)さんは、こじんまりとまとまり大人しい滑り。
Mさんは足を平行にして強引に曲がろうとし美しさには欠けるが
一番様になっている。
Iさんはスキー本場上越での経験があり、条件の悪い雪や板では気が乗らないという感じで滑っている。
Sさんは一人黙々と転んでいた、いや滑っていた。
女性二人は、残念ながら曲がれるようにはならなかった。
直滑降ならかなりの距離を滑れるようになった。
ここのスキー場は斜面が5~6面あり、
ゆるやかで長くもないので初心者向きである。
ただ雷山山頂からの斜面は急で、雪が付けば上級者向きになるだろう。
佐世保から行くには6時半には出発したい。
着いた時には靴はなく、板も底をつきかけていた。
半日雪と戯れ、帰りにはビールを飲み、楽しい雷山スキー行だった。 以上
ここ雷山スキー場は既に廃止となり、長い時間が経ったようです。
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地域研究に没頭した昭和52年度は、
『No240市民ハイキング郡岳
昭和53年3月26日 会員6名、一般23名』をもって幕を閉じました。