山登り人生vol33国体強化阿蘇合宿その3
22歳の春、地元山岳会に入会して2年目国体選手になるとは!!
合宿1回目、2回目と膝痛で苦闘の野岳縦走でした。
3回目は阿蘇鷲ヶ峰周辺での県岳連岩登講習会への参加でした。
その記録を辿ります。
No 59国体強化阿蘇岩登合宿
昭和46年9月23~26日
所属山岳会からはY会長ほか4名
国体監督・選手4名ほか多数
23日佐世保19:30⇒仙酔峡24日01:00
24日BC9:00→9:35関門周辺訓練12:15→12:45鷲見平(開講式)14:10→関門14:40
→第1キレット→ジャンダルム16:00→ノルマルBルート→西稜の肩17:00
→18:30赤ガレ谷F3→19:00BC
25日BC6:10→関門6:45(赤ガレ谷)→西稜Ⅲ9:10→北稜→鷲ヶ峰14:00→→北尾根
→高岳天狗の舞台15:30→中岳16:50→17:40BC
26日8:00ミーティング。9:00閉講式 帰路10:00⇒原鶴温泉(混浴)⇒佐世保
23日高級車クラウンで出発
軽自動車に4名。装備に食料とギュウギュウ詰めである。
Y会長宅でお抱え運転手の小野さんに装備を乗せてくれと頼むが長崎市に寄るからダメと断られる。
その代わりにクラウンを使えとガソリン満タンで貸してくれた。
望外なことだった。
クラウンで同乗者を迎えに行き、皆驚いている。
こんな高級車の運転に緊張する。
いつものように佐賀で小休止、杖立でコーヒー飲んで大観望に出て、内牧温泉から仙酔峡に向かった。
TN監督らは既に到着、避難小屋で寝ていた。SとI女史は小屋へ、
私とTJ先生は車で寝た。
24日ジャンダルムに出て赤壁、赤ガレ谷で訓練
朝から阿蘇谷には雲海。
外輪山の向こうには九重連山。朝焼けして朝から素晴らしい天気だ。
テントを張り、TJ先生とI女史は残し、国体チームと諫早Fら6名で行動開始。1ピッチで関門着。
赤ガレ谷と赤谷合流点右岸の壁でフリークライミングの練習を行う。
開講式に合わせ鷲見平に戻るが、Y会長らがまだで1時間遅れて開式。
参加者を3班に分け行動開始。国体チームは別行動である。
ガリー2からジャンダルムに出て赤壁、西稜の肩へ。
北壁を登攀するパーティーを暫し見学する。
アルファー塔からガリー2に出て赤ガレ谷F3に下る。
C班が練習している。
我々も登り直しオーバーハングの懸垂下降を練習する。
何度も練習し下山する頃は日没となった。
膝の痛みは忘れていた。
鷲見平でY会長らの迎えを受けBCに戻った。
酒宴で盛り上がり天気図作成の雰囲気ではなかった。
25日北稜登攀、北尾根縦走
他の班より早く出発し赤ガレ谷に向かう。
F1、F2は簡単、F3は昨日の練習場、F4大滝は左岸を登るが少し厳しかった。この大滝上部は今年2月赤谷上部から下りて来た所だ。2月の懸垂下降した大小2か所の滝を登り西稜Ⅲに取り付いた。ナイフリッジのようになっていたが難しくはなかった。終了点からトラバースして西稜の肩に出る。北稜、北壁は鈴なりである。3時間ロスタイムの始まりである。
B班は赤ガレ谷から西稜Ⅱに出て西稜の肩に
C班は第1キレットからジャンダルムに、それぞれ長い待ち時間となった。
我々は北稜に取り付く。
TN監督傍に落石ありヒヤリとする。北壁は女性クライマーが多い。ユマール使っての登攀練習だ。海外の山でも狙っているのだろうか。北稜は最初の1ピットはSがトップで後は私がトップを引いた。鷲ヶ峰に立った。ゆっくり食事しているとC班も一般ルートから登って来た。C班と一緒に北尾根ナイフリッジの縦走に向かう。
鷲ヶ峰Ⅱ峰から懸垂で第2キレットに下るのだが混んでおり待たされる。
右側は赤ガレ谷、左側はツベツキ谷に深く切れ込んでいる。
その上が天窓であるが、今は崩壊してない。
天窓への登りはしっかりしていた。
天気も良く風もなくナイフリッジもそう緊張感もなく登れた。
ルートも広くなり大きな台地“天狗の舞台”に到着した。
しばし休憩して高岳山頂に向かった。
仙酔尾根を下る予定であったが、中岳、ロープウエイ駅経由でBCに戻った。
既に各班は戻っており、食事の準備にかかっていた。
最後の夜、小屋とテントで盛り上がった。
今回、膝の痛みは出なかったが心配はぬぐえない。
26日行動中止、帰路に
朝早く起床したが、小雨模様で行動中止となった。
8時からのミーティングでは阿蘇の岩場の説明や県岳連への要望など問われたが簡単に終わった。
帰りのクラウンは6名乗車と満杯になった。
途中、原鶴温泉では予期せぬ混浴でびっくりしたが
女中さんはこの辺の人は慣れているからなんでもないよと話していた。
同乗者を大村まで送り佐世保に戻った。
車のお礼を言ってY会長宅を後にしました。