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山登り人生vol40初の大山冬山合宿

22歳、地元山岳会に入会して2年目。
実力のない一般会員の私達は、宮崎大学山岳部OBのF先輩や、八ケ岳経験豊富なM先生に参加をお願いし実現した初の大山合宿でした。
十分にトレーニングして実施した合宿でしたが、
新人I女史の参加は厳しい声が聴かれました。
実力者二人の参加で山は成功しましたが、帰路の車運転が大変でした。
当時は一般道での移動で、今とは比べものにならない移動でした。

No72冬山合宿大山

昭和46年12月29日~1月2日
F先輩、M先生、同期のS、新人I女史と私の5名
29日 佐世保18:40⇒
30日 6:10下山キャンプ場BC11:20→大神山神社12:05→元谷小屋12:40→大山寺13:30→13:40BC
31日 起床4:15
出発5:45→夏道6:20→7:30六合小屋8:00(アイゼン・オーバーズボン着用)→弥山9:00(ザイル着用)→槍ケ峰10:15→剣ケ峰10:45(ザイル外す)→ユートピア11:30→三鈷峰12:10→中宝珠別12:57→元谷小屋13:15→14:50BC
1日 BC3:25→元谷5:00→中宝珠別れ5:25→6:45ユートピア7:20(天候回復待ち)→天狗ケ峰8:10→8:33ユートピア9:20→10:00BC16:00・下山
2日 佐世保8:00

29日佐世保を車で出発。

急行さんべ3号超満員とのことで急遽車で出発することになる。
Y会長宅に17時集合し荷物など積み込みI女史職場の卸本町に向かう。
彼女の仕事終わらず1時間待たされ18時40分2台の車で出発する。
下関のドライブインで夜食を済ませ国道2号線をひた走る。
夜もすっかり明ける頃、米子の街に入る。

30日入山・元谷偵察

今回は全くボッカなしで入山できた、
下山キャンプ場にテント設営後、朝食をとり、夜の疲れをしばし癒やす。
M先生以外は初めての大山であり、昼前から元谷の偵察に向かう。
私はスキー教室で一昨年桝水原に来ていたが山は初めてである。
積雪は例年より随分と少ないらしい。
今日は、早々に夕食をとり早目の就寝となった。

2018年1月時の下山キャンプ場
2018年1月の大山寺

31日主稜線縦走

気温は下がっていない。車道は解けている。
夏道ルートから六合目の避難小屋へ。
小屋手前から雪も締まりキックステップで登るようになる。

当時の写真
当時の写真
I女史。服装が52年前ならでは。ヤッケ姿。

小屋には泊まったと思われる先客が一人居た。

山頂直下の避難小屋

天気は最高で風もない。今まで見たことがない雲海が待っていた。
引き返す予定だったが、主稜線を縦走することになった。

縦走路を望む

トップS、ミッテルI女史、ラスト私がアンザイレンして、F先輩とM先生は中間と終わりについた。
強い日差しを受けての縦走は春山を思わせ、厳しいはずのコースもあっと言う間に終わり、ユートピアに着きました。

槍ケ峰山頂

三鈷峰での日向ぼっこはあっと言う間に過ぎ、宝珠尾根を下ります。
元谷ではワカン歩行の訓練です。スキーヤーが次々に登って来る。
大山寺でビールを買出し夕食は盛り上がった。M先生とI女史の歌合戦で終始した。

1日槍尾根中止、帰路へ。

槍尾根の予定で出発する。山頂一帯は雲に覆われ北壁も隠れて来た。
ユートピアに着く頃には吹雪となり視界は無くなった。
腹拵えして回復を待つが回復の気配はない。
吹雪であるが気温は高く厳しさはない。
兎に角、天狗ケ峰まで行く。
槍尾根は風が鳴っている。
Fリーダーの中止の決定で引き返した。
ユートピアに戻り、雪は腐ってアイゼンの世界ではなくなっていた。
BCに戻り正月気分でも味あおうと食料の整理をする。
天気図を作成すると回復の兆しなし。
下山が決まった。

2018年1月時

追い打ちを掛けるように雨が降り出す。
撤収し出発する頃には雪に変わった。
米子で食事を摂り夜の9号線へ車を走らせた。
ここからの長い長いドライブはハプニングの連続で、無事に帰れたのは誰に感謝すればいいのだろう。
M先生、I女史、F先輩が事故を共有し、私には実感がない。
寝ていた時のハプニングだった。
正面衝突気味の事故だったみたいで、バンバーあたりが壊れたままの帰路でした。
 
 
 
 
 
 

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