山登り人生vol120冬山合宿二度目の大山
28歳。長女3歳、長男2歳。
昭和52年度は黒髪づくし龍門づくし、この山行を振り返り投稿しました。
年間34回50日の入山で、24回は黒髪山系でした。
黒髪以外はこんな山登りでした。
昭和52年度後半の山登り③
No233冬山合宿大山
昭和52年12月30~1月3日
M、Sと私
12/30曇り 佐世保16:56⇒
12/31雨 米子7:05(タクシー)⇒9:45下山キャンプ場BC設営(停滞)
01/01雨後曇り 起床5:30 朝食8:00
出発11:15→六合目避難小屋12:20→13:10弥山山頂(雪風強し)13:35→剣ケ峰
14:00→天狗→ユートピア14:30(元谷経由)→16:00BC
01/02降雪20~30cmスキーに変更
起床6:00 BC撤収9:30 スキー10:30~16:30 米子21:56⇒
01/03佐世保帰着12:06
30日留守組の見送りと差し入れを沢山いただき汽車の人となる。
31日米子駅を出ると雨が降っている。
駅前食堂で朝食を摂りタクシーで向かう。
同乗者一人を見つけ4名で乗車する。
一人当たり950円。
バスは荷物代含め650円なのでやはりバスが安い。
下山の積雪60~70cm。
既に長崎商短山岳会が入山している。雨止まず停滞とする。
1日主稜線縦走
一晩、雨が降り続いた。
内張り付き冬テンのため防寒には強いが雨には弱く、
フライの必要性を痛感する。
テント内は雨水が溜まり水汲み出しが大変であった。
テントマット、エアーマット等、完全に水浸しとなり、
辛抱強く雨が止むのを待つ。
11時過ぎ雨が上がり、山頂まで偵察に向かう。
軽装備で出発する。
山頂には2時間弱で到着する。
天候や時間を検討しユートピアまで縦走することにした。
稜線上の積雪は大したことはなく、
所々地肌が露出しエビの尻尾が付いている。
剣ケ峰を過ぎた頃より風強くなり、
歩行を止めたり目が開けられなかったりした。
場所によっては30cmほどの積雪があった。
ノーザイルで縦走した。
ユートピアの先は元谷上部を尻セードで下る。
夜は大村山岳会のテントへ3人ともお世話になり、楽しい正月でした。
(今回挿入「弥山頂まで2時間弱、ユートピアへの縦走も1時間弱と驚きです。元気な20代でした。71歳で登った弥山は4時間10分でした、」)
2日最悪なテント
深夜各自眼を覚ます。
・・・じーっと我慢するも5時半、耐えきれず起き出す。
シュラフ、ズボン、靴下までびしょ濡れである。
良く我慢したものです。
2台のラジュースで乾かし方である。
その後、スキーに変更。
昨夜の降雪で20cmは追加されスキーに変更となり、
10時半から16時半までスキーを練習する。
(今回挿入「当時のシュラフカバーは機能を果たさず、直接、雨や雪で濡れている訳でないのにテント内蒸れかでびしょ濡れになった。」最悪。)
21時56分の汽車で米子を発ち、
3日正午近くに帰佐して解散となりました。