1992年版九州百名山㏌よっちゃん22座目金山、23座目雷山
ここまで1992年版の九州百名山を投稿して気づいた。雲仙普賢岳が含まれないことを。2002年版を改めて確認したら名山になっていた。ホットした。名山なんだから。何故か考えた。1990年に噴火が始まったからだろう。1996年に噴火活動の終息宣言は発出されている。
それでは22座目金山、23座目雷山に移ります。両座とも福岡県・佐賀県の県境にある山です。最近はトレランでこの県境尾根を端から端まで一日で踏破するなど新しい波が押し寄せています。Noは山行ナンバーで1969年9月23日からの通し番号です。
22座目金山
福岡県・佐賀県の県境の山です。背振山地の西側に位置します。この山地は断層地形で、佐賀県側はなだらかで、福岡県側は急峻となっています。美しい滝を見ることができ沢登りの対象にもなっています。
金山には13回登り、うち8回は佐賀県側の山中キャンプ場から往復したり小爪峠まで歩いて戻ったり、背振山まで往復縦走したり、背振山地の西・長野峠から金山~背振山へと縦走したりしました。残り5回は沢登り(金山沢-滝川沢-広滝沢右俣)となっています。
1回目No203三瀬峠~金山~山中地蔵~宿 昭和52年1月16日 7名
2回目No298雷山∼金山∼背振山(相互縦走) 昭和56年3月21~22日 9名
この縦走は「背振山地縦走への思い」で後述します。
3回目394井手野→小爪峠→金山→山中地蔵 昭和60年3月17日 10名 4回目No436大峠~九千部山~背振山~金山~三瀬峠 昭和61年11月 4名
5回目No537 山中→金山→小爪峠→猟師岩→小爪峠→井手野 平成4年2月4名 6回目No751 山中~金山~小爪峠~洞明橋~山中 平成15年1月12∼13日2名
7回目No1069金山~背振山往復縦走 平成26年11月23∼24日 3名
8回目No1340山中→金山→小爪峠→林道→洞明橋→山中 令和元年10月 2名
山中キャンプ場から登るのは、5年前に背振往復して以来です。
金山での沢登り
1回目No365金山広滝沢右俣 昭和58年11月27日 2名
国民宿舎千石荘→広滝沢取付→右俣終了→上山田⇒千石荘
気になっていた沢です。取付きから30分はゴーロで藪、核心部が30分、その後も藪気味とすっきりとせず面白くなかった。下りは道を見失って上山田という所に下ってしまった。道を尋ねた叔父さんに千石荘まで送っていただいた。
2回目No565金山沢~金山 平成5年7月25日 4名
福岡市内で車接触事故。相手の車は大したことはなかったが・・・(涙) 金山沢は水量も多く楽しかったが、喜びはもう一つである。南アルプスはどうしようかと気が重くなった。
3回目No595金山滝川沢 平成6年9月4日 3名
4回目No761金山滝川沢 平成15年6月29日 2名
5回目No1020背振山系金山沢 平成24年8月26日 13名
私は19年振りの金山沢である。
登山口から10分ほどで坊主の滝である。直登できるとガイドしてあるが、信仰の対象となっており右側から滝上に巻き上がる。そこが入渓点である。
暫くすると山小屋が出てくる。利用されているかは不明。この先、ナメ滝、5m滝と続きゴルジュの様相となる。そして谷が明るくなると砂防提が現れる。ここまでが一番の核心部だろう。更に砂防提が現れたあと緩やかなナメ滝など単調な遡行が続く。ハーケンがある巨岩小滝を越えると長くせずに二股に到着する。ここで右俣に行くと直ぐ傍を一般登山道が通っているが、沢登りの王道として沢本流を忠実に辿った。暫くして左俣に入り遡行を続け、次の二股で右俣に入る。沢終盤の様相となりプッシュもうるさくなってゴーロ帯となる。熊笹が現れると縦走路は直ぐであった。縦走路を暫く歩いて、金山山頂に到着した。
背振山地縦走への思い
背振山地には沢登りや単独峰の山登りには数多く訪れているが、全山縦走の企画は今回で三度目と数少ない。過去は、いずれも30歳代での実施である。
一度目は32歳時の昭和56年3月No298長野峠~雷山~井原山~三瀬峠~金山~背振山である。20~30歳代の若手ボッカ組と40歳前後の年長組に分かれての相互縦走であった。若手は長野峠を、年長は背振山をそれぞれスタートし三瀬峠で合流幕営し車キーを交換して、翌日の背振山・長野峠ゴールまで縦走を続け相手車を利用して下山しようと実施された。
結果は、初日雨で若手組は強行し三瀬峠まで歩いたが、年長組は一旦背振山まで行ったものの縦走を断念して三瀬峠に車で戻っていた。雨に打たれ敗残兵のような若手組と合流して長野峠まで車を回収した後は、古湯温泉の温泉センターに素泊り1,000円で宿泊した。
翌日は天気も回復し、再度相互縦走を試みた。若手組は三瀬峠から、年長組は背振山からやり直しである。小爪峠から猟師岩山の間で両パーティーは擦れ違い、車キーを交換した。
若手組は長野峠~雷山~井原山~三瀬峠~金山~背振山まで歩き通し、年長組も背振山~三瀬峠を歩いて初日の鬱憤を晴らした。北山ダムで合流し帰路に着いた。記憶も薄れているが古湯温泉では盛り上がったような気がする。
二度目は、37歳時の昭和61年11月No436大峠~九千部山~蛤岳~背振山~金山~三瀬峠である。4名で雷山までの予定がメンバーの足並み揃わず、三瀬峠から下山した。バス停の三瀬車庫までが長かったことを良く覚えている。
三度目は、65歳時となってしまった。平成26年11月No1069金山~背振山往復縦走となった。
この他、No372昭和59年3月 十坊山~浮岳~女岳~羽金山は踏破しており最東端の大峠~基山が残ってしまった。最近はトレランが流行っており基山から十坊山までの約65㌔を24時間踏破の挑戦が実践されているようです。
もう全山縦走は無理になってしまったが、未踏の大峠~基山は踏破しよう。
23座目雷山
12回登っているが瑞梅寺・キトク橋から洗谷を経由したり、直登尾根経由だったり、中腹自然歩道を経由したりで雷山に立ったのが6回もある。残りはスキー1回、長野峠からの縦走1回、佐賀県側から2回で正面雷神社からは2回に留まっている。
1回目No172瑞梅寺→洗谷→雷山→井原山→瑞梅寺 昭和50年1月26日 5名
2回目No236雷山スキー 昭和53年2月5日 7名
3回目No298長野峠~雷山∼金山∼背振山~北山 昭和56年3月21~22日 9名
4回目No420瑞梅寺→雷山→洗谷→瑞梅寺 昭和61年3月2日 4名
5回目No440瑞梅寺→雷山→洗谷→瑞梅寺 昭和62年2月8日 22名
6回目No650古場→雷山→井原山→古場 平成9年11月2日 保健婦さんらと
富士町からのコースは手頃であった。
7回目No654瑞梅寺→中腹自然歩道→清賀の滝→雷山→井原山手前→瑞梅寺 平成10年2月14∼15日 12名(佐南山岳部員含む)
8回目No710雷山観音前バス停→雷山自然歩道→清賀の滝→雷山→井原山→バス停 平成14年1月13日 2名 3月上旬の暖かさで期待した雪はなかった。
9回目No918瑞梅寺→洗谷入口→尾根直登→雷山往復→洗谷下降→瑞梅寺 平成21年1月17~18日 2名
10回目No1052雷山横断林道布牧林道入口→古場分岐→雷山→井原山→鉄塔→古場登山口→出発地⇒古湯温泉 平成25年12月14~15日 3名
正月久住組のボッカを雷山~井原山のコースで実施した。
佐賀県側からの登山は、福岡県側からすると楽である。出発地の標高が600mを超えているので雷山までの標高差は300m強、1時間ほどで到着した。雷山山頂の寒暖計は、氷点下2度とかなり冷え込んでいる。 佐賀県側の僅かな残雪も、福岡県側になると量がかなり違う。この雪はいつのものだろうか。ロングパッツまで必要としないが雪を踏みしめながら井原山を目指した。
11回目No1181雷山~井原山 平成30年2月18日 3名
キトク橋→直登尾根取付→縦走路→雷山→井原山→キトク橋⇒二丈温泉
雪山訓練で計画したが数日前からの気温上昇と降雨で期待が外れた。4年前はそれなりにあったが九州の山で雪を楽しむのはタイミングである。
しかし、このP944m西に突き上げる尾根はトレーニングには良い。今回雪はなかったがアキレス腱と脹脛はしっかりと鍛えられた。メンバーも少なく雷山まで足を延ばした。風もなく天気も良い。山頂からの展望も良い。西側の十坊山・浮岳・羽金山から、東側の背振山まで、南側は近くには天山が遠くには雲仙から久留米市街地まで良く見えた。洗谷を下る予定であったが下降開始カ所がかなり氷結しており、安全のため退却して井原山に転進した。縦走路は雪道で標高700m程から雪は無くなった。
12回目No1326雷山 令和元年10月7日 2名
雷神社→清賀の滝→上宮→雷山→P944手前のP→境界尾根→峠→雷神社
若手から誘われ喜んで行くことなった。目的地は立石山だったが、雷山はどんな所ですかとなり、それじゃ行こうじゃないかと方向転換して登ってきた。雷神社を起点にして登るのは初めてであった。結構急な登りであった。山頂ではセンブリを発見。
次回は24座目韓国岳、25座目高千穂峰、26座目開聞岳になります。韓国岳、開聞岳は日本百名山の歩みで1月3日に投稿済ではありますが・・・。
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