山登り人生vol132竜門ダム作兵衛岩
29歳。長女4歳、長男3歳。
昭和53年度、20代最後の年です。
年間24回45日の入山で前年度より10回減りました。
相変わらず黒髪山系への入山は8回と多い年で
その山行の振り返りを続けます。
その④竜門ダム、山の家近くに聳える作兵衛岩にも登りました。
No254森氏回春祭(竜門山の家・作兵衛岩)
昭和53年11月18∼19日
Y会長、M社長、T夫妻他10名と私
昭和3年生まれ、明日で50歳のM社長を囲んで回春祭が行われた。
回春祭とは、この時、集まった者の造語である。
「人生の春が再び廻って来ましたね。」との会話からの造語だった。
翌日も盛り上がりがあり、男性のシンボルみたいな岩に取り付いてみようと5名が作兵衛岩へ向かい、他はモミジ沢や名無沢に向かった。
Sと私
①から②20m、②から④10m、③から懸垂下降。
東面から取り付いた。
松の木があり簡単かなと思ったが意外としぶく、ハーケン・ボルトを各1本打ってカンテに出る。
カンテのラインには古いハーケン、特製ハーケンがベタ打ちしてあった。
佐賀RCCが取り付いたのだろう。
途中、植物採取と勘違いしたおじさんが
「セッコク」があるから取って来いと叫んでいた。
在ったが、当然無視。
帰り時間も気になり、②より④にトラバースして懸垂下降で降りた。
この正面カンテルートAから⑤は50m程と思われた。
所要時間2時間、Ⅲ級。
MとIとK
③∼④∼②∼⑤
古いハーケンがあったが使い物にならず、ハーケン1本、ボルト2本でハングを抜け④テラスに出て、Sパーティーが中止した②から⑤を登った。
⑤から懸垂下降。
年明けの1月7日、山友6名は再度登っていますが、
植物採取(盗掘)に間違えられることや、
ハーケン打ち換えには特製が必要なこともあり、
これ以降は取り付くことはありませんでした。
竜門に行くといつも懐かしく眺めます。
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