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人生を変えた欧州遠征
1976(昭和51)年7月、27歳。山岳会入会7年目、社会人生活10年目、結婚して3年、妻26歳、長女2歳、長男まだ8カ月、祖母3回忌を迎えた昭和51年夏にヨーロッパアルプス遠征を実行しました。
1971年ダウラギリⅤ峰登山隊長M先生の入会が海外遠征への機運を高め、後押しを受けての決断でした。職場でも支援いただき、佐世保駅では多くの見送りを受け出発しました。
3年後には、ヒマラヤ計画を発表しました。昭和54年ヒウンチュリ6,441m(アンナプルナ内院)への登頂です。私他4名、約1カ月の遠征でしたが、一つの困難な情報で断念となりました。
1989(平成元)年6月のマッキンレー遠征もトレーニングに励みましたが、職場の異動を乗り越えられず不参加となりました。
それから8年後、長崎県山岳連盟での1997年インドヒマラヤ:サトパント峰が目標となりトレーニングに励み、同年7月からの同遠征隊に参加しました。しかし、キャンプ1までが最高到達点で高山病による隊離脱と良い思い出はありません。この遠征は、超多忙な職場異動で参加が難しいところを、上司の後押しで参加が実現したものです。出発までの猛残業、復帰してからの猛残業に子育て支援プランの作成などいろんな意味で記憶は鮮明です。
このモヤモヤを払拭するため1998(平成10)年には南米パタゴニア遠征の話が進みました。この計画も、ポルトガル語圏域、空路・陸路・航路・ガイド調達と費用や期間の面で困難と判明して3度目の断念となりました。この時も職場の異動が重なり、計画断念でホットしたのが正直なところでした。
このように27歳での初の海外遠征で大きく人生を変え仕事に山に頑張ってきたと思います。海外遠征は断念計画も多いのですが、少なからず足跡を残してきました。
次のとおり台湾や韓国の山にも足を延ばし、特にカナディアンロッキーやキナバルの山旅は素晴らしいものでした。
ヨーロッパアルプス遠征 昭和51年7∼8月 3名 玉山 平成元年11月 5名
韓国智異山・北漢山 平成7年12月 3名
長崎県サトパント遠征隊 平成9年7∼8月 9名
韓国俗離山・雪岳山 平成10年12月 7名 韓国漢拏山 平成12年05月 6名
カナディアンロッキー 平成13年08月 5名 キナバル 平成17年05月 2名
多いとは言えない海外登山ですが、27歳での欧州遠征は人生を変えた出来事でした。