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山登り人生VOL289九州国体本番

1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
昨年3月29日「山登り人生VOL1」から始めもう直ぐ1年、
今回の投稿になりました。

私36歳。奥様36歳、長女11歳、長男9歳、次男5歳の頃の山登りです。
昭和60年度の山行は28回56日と月2回ペースになった。

九州各県で持ち回りしている国体九州ブロック予選会「九州国体」は、
長崎県が主管し開催されました。山岳競技は山岳連盟が担当です。

一週間前には最終確認を行い本番を迎えました。 

No406第5回九州国体in長崎

昭和60年9月6∼8日
Y会長、O副会長、M理事長ほか11名

6日入山式、幕営競技
7日縦走(五家原岳∼金泉寺∼経ヶ岳∼釜伏山)、登攀競技(板川内の岩場)
8日踏査競技岩屋越∼遠目山∼遠目越∼北川内)、閉山式

 6日朝、T君の車で黒木に向かう。
公民館には既にY会長も到着し、10時からの全体会議に出席する。
入山式後、幕営競技が始まり、審査員の補助を行う。
行動隊の私達は、選手達と一緒に黒木小学校体育館に泊まる。
公民館では夜中2時からスタッフのための炊き出しが始まり
眠れなかったそうだ。 

7日5時、公民館に移動して朝食を済ませる。黒木バス停6時出発。
私は成年女子(八丁杉∼中山越∼経ヶ岳∼釜伏山∼板川内)に
Sは少年男子(五家原岳∼金泉寺∼中山越∼経ヶ岳∼つげ尾∼黒木)の
行動隊員として張り付く。

M理事長医師は医療班で金泉寺に、
馬田君は平谷越で、K君は釜伏山で通信を担当した。

6時半頃から凄い雨と雷。縦走競技中は、終始雨が降っていた。
登攀会場と本部との通信が上手くいかず、
縦走終了後は板川内の岩場で通信の仕事をした。

その後、釜伏山付近で少年女子の一人が捻挫で自力下山できなくなり、救助隊を編成して現場に向かった。

登攀競技は雨の中始まった。最終の長崎チームが登る頃は雨も上がった。

夜は、役員・審判団・視察員らの懇親会が開かれたが、早々に抜け出し竹松まで出て銭湯で汗を流した。

 8日も6時前には行動した。
私は審判員に同行して、ポイント通過の連絡通信を担った。

中日に大雨に降られが大会は無事終了した。
地元の成年女子、少年男子、少年女子も
本番鳥取国体への出場権を確保した。

予選がない成年男子と共に、全種別での出場となった。

役員・選手の集合写真。黒木小学校にて

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