1976年ヨーロッパ山旅㏌よっちゃんシャモニ入り
7月18日(日)小雨後曇り ジュネーブからシャモニ入り
昨夜23時ホテルグレネルに入り朝を迎えます。7時起床してパンとコーヒーだけの朝食を摂る。時間まで外をぶらつく。
10時ホテルを貸切バスで出発する。街を過ぎると直ぐ国境である。税関はフリーパス。バスは高速道路を走るような速さで走行する。
国境を越えた時点で時計を1時間戻さなければならなかったが、このことに気付いたのは10日以上もたってからで、その間は間違いの時間で記録しています。
眺めが良い牧場風景が続く道路を1時間も走ると道路は狭くなった。道端には車を停めた老夫婦や学生達がテーブルを広げワインを傾けている。学生達がザックを背負い列を組んで歩いている。ワンダーフォーゲルを今見ているのだと感じた。車窓の左手前方には氷河が見え出した。搭乗員の紹介でビオナセイ針峰と解った。直ぐ左にあるモンブランは雲の中で確認できない。更にその左には針峰群が現れて来た。我々にも直ぐ解った。ミディーからグランシャルモの針峰群である。とうとうやって来たヨーロッパアルプスヘ。アルヴェ河を渡り右岸へ。レ・ズーシュ付近を走っている。ここはモンブラン登山口の一つで私達も利用することになる。
アルプ的な家並みが続きオートキャンプのテントが色とりどりで華やかである。バスはもうシャモニの街を走っている。シャモニにとうとうやって来た。世界の山登りは、この地から始まっているのである。街路は狭く、華やかで明るい街である。観光客、避暑客に登山者など人人人であるが、慌ただしくないのが印象的である。シャモニ・モンブラン駅に11時30分到着。(現在の画像HPより)
ここでアルパインツアー㈱の往路責任は終わり解散となる。参加者はそれぞれ散らばっていった。先発隊が居たり、友人が先に来ていたりで全く初めてのフリー客は少なかったようだ。このツアーは、この後8月13日ジュネーブで落ち合うことになる。
まず私達の仕事は、フランス貨幣に両替することである。今日は日曜で銀行休みだったので観光案内所で両替である。100ドル両替し458FFを手にした。案内所前のサン・ミシェル教会で写真に納まる。ここのには毎日天気図が掲示され登山者に便宜を図っている。次は腹ごしらえだ。街のほぼ中央にあるレストランに入った。メニューは日本語で表示してありボーイも片言に日本語を話す。1人13フランの昼食と3人でワイン1本。暑いビフテキにポテト。食事も終わり駅にザックを取りに戻る。キャンプ場のあるレ・プラの街に向かったが、遠回りをして1時間近くかかった。荷も重くバテ気味である。ロジェールキャンプ場はシャモニ寄りにあった。15時頃到着、管理事務所で利用手続きをする。ツアーで一緒だったメンバーもいる。会話はあまり成立していない感じだが、相手は心得ており申込書と日本語版の記入モデルを渡してくれた。受付が終わると木札をくれた。設営場所は指定された。このキャンプ場は設備が行き届いていた。日本のキャンプ場とは雲泥の差である。日用品から食料品を取り扱うストアーから水洗便所、温水シャワー、炊事場まで。日本からの郵便物も気付で良いようだ。今回の合宿では最高のキャンプ場だった。
指定された設営場所も良かった。と言うのは日本人がたむろしている場所もあり、何か異様さを感じた。慣れない登山者をエサにして生活している感じがした。そうではないのかもしれないが感じは良くなかった。私達のテント近くにはツアーで一緒だった2パーティー4人の2張とオランダ人のテント1張があった。オランダ人クライマー2人は26歳の青年で、他の日本人パーティーとにこやかに団欒していた。私も加わりお酒をご馳走になった。19時頃夕食(パン・スープ・卵焼き・ベーコン)を済ませて、直ぐシュラフに入り込んだ。まだ周囲は明るく本を読むことができる。
この日から8月4日シャモニを離れるまでこのロジェールキャンプ場をベースに山登りをすることになります。
次回は「7月19日シャモニ生活のスタート」を投稿予定です。