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#36 学歴コンプレックスは悪いことじゃない


随分久しぶりの投稿になってしまったが、
最近特に強く感じることについて、ここに吐き出しておきたい。

恐らく、自分語り色が強い文章になると思うが、
どうかご容赦いただければと思う。



前提・経歴


タイトルにもあるとおり、私は学歴コンプレックスだ。
身バレしない程度で、私の経歴を載せておく。



  • 地方出身

  • ごく普通の小学校、中学校を卒業

  • 公立高校(偏差値60ちょいの自称進学校)卒業

  • 地元の国立大学(中の下レベル)卒業

  • 都内で就職



上記だけをみると、「どこがコンプレックスなんだ」「順風満帆じゃん」
といった声が挙がるかもしれない。

では、なぜここまで強烈に、コンプレックスを感じるのだろう。

高校・大学受験でチャレンジしなかった(できなかった)ことへの後悔

まず頭に浮かぶのは、受験時に全くチャレンジしなかったことを、今でも後悔しているということだ。

高校受験。

授業態度だけは真面目だったので、内申点は悪くなかった。同じくらいの内申点の人たちは、地元でナンバー2くらいの高校を受験していた。
私も、その高校に対して憧れを持っていた。
※女子の制服もかわいかった。

でも、私は理系科目がとにかく苦手だった。
定期テストの点数は良くても、学力テストの点数は、いまいちだった。

そうした理由から、私は志望校のレベルを1つ下げることにした。
簡単に言うと、逃げたのだ。

レベルを下げたことで、受験自体は難しいものではなくなった。
結果、無事合格を果たすのだが、結果だけみれば、当初の志望校にも届きそうな点数だった。
(ただ数学は最後まで苦手なままで、本番でも正答率4割くらいだった・・笑)

大学受験。

相変わらず、定期テストの点数はそこそこ良く、成績も悪くなかった。
公立の自称進学校の特徴として、大学受験の基準(指標)が、地元の国立大学合格レベルを目指す、いうのがある。

言わずもがな、私の高校もその特徴にドンピシャ当てはまっていた。
定期テストの順位でも、「学年○○位以上だったら、地元国立大合格レベル」と、先生から口酸っぱく言われていた。

私は地元の国立大には絶対にいきたくなかった。
オープンキャンパスに行ったときに、建物の古さに驚き、「こんなとこには行くもんか」と強く誓った。

ただ、そこまで裕福な家庭でもなかったので、私立にはなるべくいってほしくない、という親からの圧を、なんとなく感じていた。
(実際、もし受かったら絶対に行きたがるからという理由で、MARCHは受けさせてもらえず、滑り止めとして関西の私立1校だけ受けさせてもらった)

そうなると、5教科7科目頑張って、他県の国公立に合格するしか道はない。
まずは、センター試験でアドバンテージがとれるよう、部活を引退した高3の6月から、毎日塾で一生懸命勉強した。

・・・結果、得点率72%。

悪くない。が、志望校はC判定。
全然チャレンジできる結果だ。でも2次試験で挽回できる自信がない。
最後まで数学が伸びない。(センター5割)

チャレンジして、落ちたら、関西の私立。
なるべく国公立にいかなきゃ。
あれだけ嫌がっていた地元国立大ならA判定。
(文系科目の傾斜配点もあり、結構余裕な感じ)

どうしよう。

迷いに迷ったあげく、また安パイを選択した。
また逃げてしまった。

もう少し真剣に勉強していれば。
センターで、あの2択を外していなければ。
極論、当初行きたかった高校に受かっていれば。

意味のない”たられば”が、私を支配した。

今になって振り返ると、「あれが自分の実力のすべてだった」し、
高校も大学もそれなりに楽しかったし、
と思える。

でも、結果はどうあれ、「もっと頑張れたんじゃないか」という思いは、
いまでも心にずっと残っている。


就職して・・周りは自分より賢い人ばかり

詳細は省くが、運良く就活はうまくいき、自分の身の丈以上の会社に入ることができた。
学歴フィルターでふるい落とされなくてよかった。

この点においては、自分を褒めてあげたいと思う。

ただ入社してみると、
同僚には、旧帝大、早慶、MARCH以上の人たちがずらり。
自分と同じレベルの大学の人はほとんどいない。

自分より賢い(大学を卒業した)人たちは、
情報処理能力の高さ、話の分かりやすさ、新しいことを吸収するスピード、
どれをとっても素晴らしかった。

職場の飲み会でも、頭の回転が速い、機転の利く一言が言える。
小気味いいテンポの会話ができる。人狼が強い。そもそもコミュ力が高い。
そう痛感することが多い。

そんな人たちと一緒に働けているのは、間違いなく誇りなのだが、
どうしても劣等感を覚えてしまう。

仕事ができるかどうかは、出身大学で決まるものではない。
社会人になってしまえば、学歴は関係ない。
そんなことは分かっている。

けど、昔からずっとくすぶっているコンプレックスを、
なかなか拭うことができずにいる。

高学歴YouTuber

YouTubeを観ることが趣味なのだが、
いわゆる「高学歴YouTuber」と括られる人たちの動画を好んで観ている。

具体的には、QuizKnock、雷獣、いだちゃんねるあたりだろうか。

特に、いだちゃんねる(京大卒の2人組)の動画を、最近見漁っている。

「頭のいい人たちがふざけると、こんなに面白いんだ」

ほんとにこの一言に尽きる。

彼らの友人としてたまに動画に登場する友人たちも、
いちいちハイスペックで、羨望するばかり。

自分にはとてもできない所業なので、
単純に強い嫉妬を覚えてしまう。


学歴コンプ?だったらなんだ

ここまで、学歴コンプレックスを感じる理由を、
とりとめもなくつらつらと綴ってきた。

私の文章力では、自分の感情をすべて正確に表現できた気がしない。
言語化できずに省いたところもある。
上述したことは全て私の本音だ。

ただ、この少しひねくれた劣等感が、
今、何かに取り組む際の原動力になっていることは間違いない。

実際、自分の経験からしても、
「悔しい」気持ちが原動力になったときの「遂行力」は、何にも適わない。

幼い頃から漢字が大好きで、漢字の知識なら誰にも負けないと自負していた
小、中学校時代。
受かるわけないと馬鹿にされたことが悔しくて、可処分時間を全て勉強に費やし、中2の時に、初受験にして漢検準1級に合格することができた。

今は、この気持ちを自己研鑽の原動力にしている。

常になにか自分のためになることをしないと、と肝に銘じ、
アンテナを高くして過ごすようにしている。

勉強や読書も怠らないようにしている。

TOEICも、900点を超えることができた。
今現在は、英検準1級の合格に向けて、勉強を積み重ねている。
最終目標は英語で不自由なくコミュニケーションをとれるようになることなので、オンライン英会話も細々と続けている。

読書だってそうだ。
もともと読書は好きな方だが、なるべく幅広いジャンルの本に触れて、新しい知識を取り込むようにしている。


自分は、決して賢くない。
人よりも努力しないと、何も成すことができない。

それが自分だと受け入れて、着実に積み重ねる。

もし、チャレンジして受験で全てうまくいっていたら、
今抱いている感情は芽生えなかったかもしれない。

その意味では、今置かれている状況に感謝しないといけない。


「過去の選択はすべて正しかった」と割り切って、
これからの人生に真剣に打ち込もう。

人生を終えるときに、
「もっとこうしておけばよかった」と後悔することがないように。


学歴コンプレックスは、悪いことじゃない。





















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