「地球外少年少女」は「Gのレコンギスタ」の共通点と違いについて(ネタバレあり)
遅ればせながら、Netflixオリジナルアニメである磯光雄監督の「地球外少年少女」を視聴。劇場公開と配信が被っていたせいもあるかもしれませんが、Netflixのランキングには一度も入っておらず、あまり話題にはなっていない印象。海外の評価はIMDbが平均6.4、MyAnimeListが6.9とちょっとイマイチ。個人的な好みとしても、前作の「電脳コイル」のほうが圧倒的に好きで今作はそこまでという感じなんですが、あまり内容に踏み込んだ評論的なものがなく、キャラクターデザインが吉田健一さんであることと、舞台・テーマが宇宙という共通点のある富野由悠季監督の「Gのレコンギスタ」(以下Gレコ)と絡めて久々にnoteを更新しました。
Gレコは2014年放送のTVシリーズの作品で完結し、不発を受けて構成し直した劇場版が5部作のうちⅢまで公開されているという一応まだ未完という形ですが、結論部分では大きな変更はないだろうという前提で書いていきます。
Gレコの解説は、以下の2つのブログがオススメで副テキストとして使ってください。劇場版は分かりやすくなっていて楽しい作品だと思うんですが、今のところU-NEXTかバンダイチャンネルのレンタルしかないのが残念。来月のⅣ公開に合わせて他のガンダム作品のようにアマプラ見放題で見れるようにならないかな…
作品の共通部分について
そもそも磯光雄監督のアニメーターとしてのデビューがガンダムZで、ZZ、逆襲のシャアにも参加していたということもあってか、ギレン・ザビのような人類の永存のために一部の人間を犠牲にしようとするテロリストが出てきたり、富野監督からの影響が多々見受けらる。
そして、主役たちが少年少女であり、ターゲットは子どもということ。これは商業的な意味だけではなく、富野監督は種を蒔くと表現していて、現在・将来の問題について何か考えるきっかけになってほしいという願いが込められており、未来を託すための作品と言える。
設定的な部分では、地球外〜は超高性能AIセブンが起こした事故により、AIに知能リミッターという制限がかけられるようになったという設定、Gレコでは宇宙世紀時代の技術体系を進歩させることを禁忌とする「アグテックのタブー」というルールがあり、それを教義とする宗教が存在しているという、科学技術に対して制限がかかっているという世界観が共通している。
作品の受けやすさ
これは個人の感想が大きい部分はあるんですが、「地球外〜」は専門的・哲学的な少し難解な要素もあるが、ガジェット的な部分やキャラ、見せ方も含めて、子どもにウケやすい・直感的な分りやすさ、身近さという点で圧倒的にGレコより受け入れられやすいのは事実(主題歌はGレコの方が良いが)。しかし、「地球外〜」は作品内のリアリティラインはしっかりしているものの、やや子供騙し感が強く、ご都合主義的なところを感じる面も。
根本的な思想の違い
「地球外〜」は宇宙進出やAIの進化による犠牲を描いているものの、全体としてはSFオタクの無邪気な夢物語的な理想を描いているように感じる。一方「Gレコ」のテーマのテーマとして富野監督は
と語っており、GAFAもYouTuberも否定的だし、「ロボット開発は介護用に特化すべき」、「宇宙開発は愚か」(有料記事)と、現実的ではあるが夢も希望もないような考え方をしており、根本として
ウケなくて当たり前じゃ!
というテーマ性なのである。かといって、変に子どもに媚びるのは富野監督でなくなるし、最終回の締めは前向きで明るいもので、どちらかといえばGレコのほうが自由さを感じるのが正直なところ。そもそも、元々メカ・宇宙オタクである富野監督なので、完全に技術進歩を否定しているわけではなく、ちゃんと懸念される問題、今ある課題をクリアしたうえでやりなさいよという挑発でもある。地球外少年少女が富野監督が納得できる価値観を提示できているかというと、そうではないんじゃないかなと思います。ただ、地球外少年少女も不完全なもので、予算やスケジュールの都合からカットした要素も多いとのことなので、完全版を是非観たい。
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