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「日本」と「英語」の相性って実は案外悪くない、と思った話

「日本人は英語が話せない」
「日本人の英語力は終わっている」
「日本の英語教育は世界的に見ても低水準」
街頭インタビューで日本語を話さない外国人が言う「英語が通じなくてとても困った」挙句の果てには「もう来ない」

日ごろ特段英語教育に高い関心がなくても耳にする、こういった類のコメント。その中にはそこから危機感をあおり、英会話教室とか英語系インフルエンサーのサブスクに誘導するものもあるし、批評を通して警鐘を鳴らしたい人もいるし、単に批判することで何かを満たす人もいる。

海外経験なんてほぼない中、単身オーストラリアに1年いったおいどんの感想としては、「日本教育はたいして悪くない」ということと「日本にいるのなら日本語及び日本文化を尊重する姿勢を持つべきでは?」ということだ。

英語力と一口に言っても、それは語彙や文法、読み書き、スピーキング等様々な要素で構成されていると思って総合力という意味では、私がこれまで受けてきた大学までの約10年間の授業が相当向上に貢献してくれたと思う。

もっと正確に言うと、授業と受験勉強かな。中学も高校も「授業をまじめに受けない自分がかっこいい」という今思い出しても恥ずかしい信念をもって生きていたので学校の成績が振るわなかった私は一般入試しか選択肢がなかったのだけど、その対策で死ぬほど叩き込んだ英語の知見は今も生きている。

どれだけ発音が良くたって、どれだけ自信満々にふるまえたって、文法がめちゃくちゃなら話も通じないし、語彙力がないと伝えたいことも表現できない。

だから、英会話力って意味では確かに物足りない印象を受けるかもしれないけど、そんなの慣れの問題だ。1週間もいれば基礎さえあればすらすら出るようになる。逆に第一言語が日本語の国で、英会話力を培うなんて、割と大変な話だと思う。

もし今後留学とかワーホリに迷っている人に相談されたら、中学英語レベルがある程度完璧にマスターできた状態で行くと良いよってことととにかくシャドーウィングをしてネイティブのモノマネをしてみてってアドバイスすると思う。あと受験勉強めっちゃくちゃやってきた自負があるなら、意外とポテンシャル高いよってことも伝えたい。

そして何より英語を話さない、というのは決して恥ずべきことではない。今の生活で困っていないなら別にいいんだ。話したいと思う人が、学習したいと思う人がやればいいのであって、負い目に感じる必要はない。横柄な態度をとる英語話者はもしかしたらあなたと同じように母国語しか話さない人なのかもしれないのだから。

ほいで英語を勉強しようかなって時に、海外に行ってみようかなって時に、自分の英語力が理想とかけ離れていたって落ち込むことはない。今ぺらぺらに見えるあの子だって、基礎を学ぶ時間があったし、続ければ必ず力になるのが英語力だと思う。英語系インフルエンサーとか、英語力に関する何かを発信する人って、おしなべて強い言い方というか英語を話せないことが悪みたいな口ぶりなのが凄く目につくけど、本当に‼ほんとに‼恥ずべきことではないしいつでも始められることですから、どうか強く持ってください。何かを始めるには今日が最速です、応援してます(?)

あと外国を訪れるすべての人に思うのは、外国人としてその場にいる以上はその国の、その土地の文化を尊重すべきだということ。郷に入っては郷に従えとはよく言ったもので、英語が世界で最も使用されている言語だからなんだよ、ここでは日本語が一番使われてんだからあいさつくらい日本語でしなよって思う。

これは特にトラリアに行ってから強くなった考えで、日本ではありえないようなことが山ほど起きたし感情も動いたけど、それがトラリアの文化でありそれが嫌なら去ればいいんだ。誰が私にトラリアへ来ることを強制したのか。自分が勝手に来ただけだ、と思っていた。(勿論、人間としてリスペクトされていないと感じたらその限りではないけれど)

多分自分がそうやって自分を納得させてきたから、訪日外国人に対してそう思うようになったんだろう。併せて過去の自分にも反省した。アジア圏を旅行するとき、つたない英語でコミュニケーションを取り、現地の言葉なんて話そうともしなかった。それでも親切にしてくれた現地の人に申し訳ない気持ちと改めて感謝の気持ちが芽生えた。

そんなことがあって、今は韓国語の勉強と来訪予定のフランス語の基礎を学ぼうと思っている。マルチリンガルに、俺はなる!

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