ダイコンを間引くこと… (11/30)
上のお母さんがダイコンを間引きに行くというので、連れて行ってもらいました。
なんでも、
「私って貧乏性だから、たくさんとれればいいと思って、畑に種をいっぱい撒いちゃったの。そうしたら、隣同士くっついて大きくなったのがあって、これを間引かないと、太く育たないから…」
とのこと。
畑には4畝にわたってダイコンが植えられています。うち2畝はたくあん用の細い大根で、残りがふつうに店頭に並ぶダイコン(品種は未確認ですが…)とのこと。たしかに、2~3本が密集して生っているのがあります。1本ずつ植わっているものよりも、どれもやや細めです。
「このうち大きくなりそうな1~2本を残して、間引いちゃって!」
そう指示されたのですが、これが難しくて…。いえ、間引くだけなら簡単なんです。まだ細く浅く植わっているだけなので、引っこ抜いちゃえばいいのですから。
ところが、このダイコンたち、どれも健気に生っているわけです。これから太く長くなるよう、この雨のない時期、土中で必死に根を伸ばし、栄養を吸収しているわけです。
たしかに農産物は人のために植えたもので、実りよく育ててたくさん食べられるのがその使命なのでしょう。こうした営為が太古から続けられてきたのです。でも、植物としての存在と考えると…。
あまり道徳的な、小学校での課外学習みたいなことを言う気はありませんが、間引かれたダイコンたちをみて、「オレが最後まで余さず食ってやるからな」なんて、そんな気持ちが湧いてきたのは事実です。
当然、その夜の食卓はダイコンづくしでした。葉や茎は細かく刻んで味噌汁にふんだんにいれ、親指程度のダイコンは薄く切って茎や葉と一緒に炒めて食しました。
収穫して食う――。
シンプルですが、なにか自然とともに生きている感じを味わいました。
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