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タングステンアーム・オドイルとアクロン・グルームズメン
大谷翔平が投打で活躍するも、ロサンゼルス・エンゼルスは負けてしまうという試合展開に対して、「なおエ」と言われることも市民権を得てしまったようだ。
今季からスポーツ紙でも見出しに使われることが増えてきた。
元々はイチローが活躍してもシアトル・マリナーズが負けてしまう展開が続いたので、「なおマ」と言われていたもののリバイバルだ。
スター選手が活躍してもプレーオフに出場できないという例は過去にも数多あり、MLBでは「アーニー・バンクス症候群(Ernie Banks syndrome)」という用語も生まれた。
アーニー・バンクス(Ernie Banks)は1950〜60年代にシカゴ・カブスでプレーしたショートストップで、通算512本塁打を記録した強打者である。
にも関わらず、カブスはバンクスが所属した間に一度もプレーオフに進出することができなかった。
個人がいくら活躍してもチームは優勝できないことをアーニー・バンクス症候群と言うが、「なおエ」もその派生形だと言える。
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「なおエ」のアメリカ版はウィットに富んだネタで呼ばれていて、それが「タングステンアーム・オドイル(Tungsten Arm O'Doyle)」である。
ネタ元はMattというTwitterアカウントの約2年前のツイートである。
every time I see an Angels highlight it's like "Mike Trout hit three homes runs and raised his average to .528 while Shohei Ohtani did something that hasn't been done since 'Tungsten Arm' O'Doyle of the 1921 Akron Groomsmen, as the Tigers defeated the Angels 8-3"
— ℳatt (@matttomic) May 18, 2021
エンゼルスいつものハイライトだ。「マイク・トラウトが3本のホームランを放ち、打率を.528まで上昇させた。一方で大谷翔平はアクロン・グルームズメン(Akron Groomsmen)のタングステンアーム・オドイル('Tungsten Arm' O'Doyle)が1921年に記録した偉業を達成した。なおエンゼルスは3対8でデトロイト・タイガースに敗れた」。
このツイートのあった2021年5月17日にエンゼルスが対戦したのはデトロイト・タイガースではなく、クリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)。
トラウトはこの試合で3本のホームランどころか、1打席しか立つことなく途中交代すると、この試合の後に故障者リスト入りすると、そのままシーズン終了まで復帰は叶わなかった。最終打率は.333だった。
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大谷はこの試合で1本のホームランと2四球、2三振とアダム・ダン率100%という偉業を達成しているが、さすがに100年ぶりの珍記録というわけではないだろう。
要はフェイクネタなのだが、このツイートがバズり、今では大谷が「タングステンアーム・オドイル」と呼ばれるようになった。
大谷のニックネームとなった「タングステンアーム・オドイル」という選手も、オドイルが所属した「アクロン・グルームズメン」というチームも実在しないのだが、実在しそうな設定がウケたのだという。
タングステンアーム・オドイルという選手もアクロン・グルームズメンというチームも架空のもので、いずれもMattさんの創作だった。いかにも昔の野球選手に実在したかのような名前を使い、いかにも20年代中西部の野球の街をイメージさせるアクロン(オハイオ州)。グルームズメンは「新郎の介添人」の意味があるが、アクロンもグルームズメンも英語圏の人にとって言葉の響きが面白く、それだけでも笑えるそうだ。
水次祥子さんの解説ではMLBオタクでも十分に理解することが難しいかもしれない。スポーツ紙の限られた文字数で解説できるようなネタではないのだから仕方ない。
まず「タングステンアーム」だが、これはオドイル選手のニックネームだ。
100年前の選手はユニークなニックネームを持つことがしばしばある。
「ブラックソックス事件」で球界を追放されたシューレス・ジョー・ジャクソン("Shoeless" Joe Jackson)、ボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)などで活躍したショートストップのラビット・モランビル("Rabbit" Maranville)、ニグロリーグの伝説的な盗塁王クールパパ・ベル("Cool Papa" Bell)などなど。
「ラバーアーム(Rubber Arm)」のニックネームを持つガス・ウェイイング(Gus Weyhing)という投手もいた。「ラバーアーム」とはゴムのように強靭な豪腕の投手のことを言うらしい。
なお「タングステンアーム」と呼ばれた選手は見当たらない。
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「アクロン(Akron)」はオハイオ州の都市で、同州のクリーブランドとシンシナティには今もMLBのチームがあり、トレドにもかつてブルーストッキングス(Blue Stockings)というチームが1884年の1年だけ存在した。
そしてアクロンにもグレイズ(Grays)というニグロナショナルリーグのチームが1933年だけ存在した。しかもこのチームはたった10試合しかリーグ戦に参加しなかったそうだ。
最後に「グルームズメン(Groomsmen)」の元ネタはブルックリン・ドジャース(Brooklyn Dodgers、現ロサンゼルス・ドジャース)のかつてのニックネーム「ブライドグルームズ(Bridegrooms)」ではないだろうか。
ドジャースは最初グレイズ(Grays)という平凡なニックネームだったが、1888年ごろからブライドグルームズと呼ばれるようになる。
この不思議なニックネームの由来は下記のように伝わっている。
1888年の同時期に7人の選手が結婚したため、1890年にウィリアム・ガナー・マグニグル(William "Gunner" McGunnigle)監督の球団は「ブライドグルームズ(花婿たち)」というあだ名が付けられた。
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ちなみにオドイル(O'Doyle)という、いかにもアイルランド系っぽい名前のメジャーリーガーは存在しないが、ドイル(Doyle)という選手は複数人存在する。
その中で1番有名なのはラリー・ドイル(Larry Doyle)だろう。ドイルはジョン・マグロー(John McGraw)監督率いるニューヨーク・ジャイアンツ(New York Giants、現サンフランシスコ・ジャイアンツ)がリーグ三連覇した頃(1911〜13年)のキャプテンだった。
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こうして考察するとよく練られたネタだなと感心せざるを得ない。