【ネタバレ注意】劇場版ポケットモンスター ココ 感想
タイトル通りネタバレ注意です。
「劇場版ポケットモンスター ココ」を視聴しました。
この文章を読んでいるあなたは、ネタバレを気にしない未視聴の方、若しくは視聴済みの方だとは思います。
ネタバレについて、詳細はなるべく控えますが、本当に悪いことは言わないので、なるべく早く見ていただきたいです…!
結論から書きますと、非常に素晴らしい作品でした。
私は割と涙脆い方なので参考にはならないかもしれませんが、映画館で泣いてしまいました、何度も。
物語はざるーどの群れがモリのポケモンを遅い、きのみを奪い取るシーンから始まります。
「掟の歌」をバックに暴れるその姿は図鑑説明文にある通り、掟の歌の荒々しさも相まって非常に強く、野蛮なポケモンである印象をつけられます。
群れを つくり 密林で 暮らす。 とても 攻撃的で 森に すむ ポケモンたちから 恐れられている。
-ポケットモンスター ソード 図鑑説明文-
登場するザルードは個体毎に体に巻きつけているツルの位置や体格が異なることも印象的でした。
掟の歌(ポケモン公式Youtubeチャンネル):
https://www.youtube.com/watch?v=B5VOpxb3Y6c
「ジャングルではザルードより強い存在はいない」
そんなことを強調するようなシーンはその後も多々ありました。
さて、他のポケモンを襲い終わったザルードの群れですが、1匹は聞き覚えのない音を聞き、その音の元へと向かい、本作のタイトルでもある「ココ」を見つけます。
後に明かされますが、自身も親のいないザルードは、赤ん坊を拾い、ザルードの群れを抜ける決意をします。群れにとっては「裏切り」行為であり、以降ココを育てるザルード(以下「とうちゃんザルード」)と他のザルードは対立をすることになります。また、ザルードが群れを抜けた後も、「森の他のポケモンとも仲の良いココ」「森の他のポケモンから嫌われたままのザルード」の構図は続いていました。
今回の映画で個人的に綺麗に感じた点の一つとして、物語のプロローグにあたる「ザルードによる一般ポケモンへの襲撃、略奪」「異音、出会った人間の赤ん坊」が最後のシーンで回収、完結しているところが挙げられます。
さて、CMでも強調されていましたが、本作のテーマの一つは「親子」です。同じテーマを扱ったポケモン映画として「結晶塔の帝王」「幻影の覇者」がありますが、本作はそのどちらともまた違った方向性で描かれています。
更にはゲーム本編「BW」「BW2」に登場するNという少年も、ポケモンに育てられ、ポケモンと会話のできる人物でしたが、ココはNとも全く違う側面から人間とポケモンの付き合い方について描かれていました。
序盤で、ココととうちゃんザルードはちょっとしたことで親子喧嘩をしてしまいます。
その後ココの「自分が何者に見えるか」という問いに対し、ホシガリスが「ココ」と返した時点では、「この映画は最終的に自問し続けたココが自分はココであって人間かポケモンかなんて些細な問題だ!みたいな話かな」と思っていましたが、そんなに浅くなかったです。安直すぎてました。
その後なんやかんやあってサトシと出会います。
ここで「ココは人間の言葉を話せない」ことが明らかになりました。
とうちゃんザルードや他のザルード、ココの会話は視聴者にも分かるように(CMのように)言葉で表現されていますが、サトシとココの会話ではココの話すセリフは基本的にザルードの鳴き声と同じく「ザ」「ル」「ド」だけで構成されており、CMでみた際の「久しぶりの幻のポケモンが喋る映画」だと思って見ていたので、かなり印象的でした。
森にはいない、自分と同じ姿かたちの生き物が人間であるということを知り、ココは自分の出生、本当の両親の存在について知り、そして両親が既に世を去っていることも知ってしまいます。
森で育ったココをなんやかんや悪用しようとする悪い大人と、自身の縄張りでもある「神木」を侵されたザルードの対立、物語のクライマックスになっていくのですが、本作では「悪役」の描写もかなり特徴的でした。
歴代映画の悪役を「ざっくり」と分けると
・人間とポケモンの対立
「逆襲」「裂空の訪問者」「ディアルガVSパルキアVSダークライ」「神速のゲノセクト ミュウツー覚醒」「光輪の超魔神」「キミに決めた」
・ポケモンを使う悪役(人間)との対立(ポケモンの力を悪用とする)
「爆誕」「時を超えた遭遇」「水の都」「七夜の願い星」「蒼海の王子」「氷空の花束」「超克の時空へ」「幻影の覇者」「黒き英雄/白き英雄」「破壊の繭」「ボルケニオンと機巧のマギアナ」「みんなの物語」
・悪意なく人間の欲を叶えるポケモン
「結晶等の帝王」
・明確に対立する悪役が登場しない
「波導の勇者」(レジはまぁ…敵というか防衛本能みたいな…?)
・ポケモン同士のトラブルに一行が巻き込まれる
「聖剣士」(裂空も近いかもしれない)
基本的に「めちゃ強い力を持ったポケモンとの対立」、若しくは「ポケモンの力を悪用とする悪いトレーナーとの対立」が多く、悪役との戦い=バトルの描写が描かれることの多い作品では、どうしても(それが悪意なのか本能なのか、外的要因があるのかは別として)「悪者のポケモン」が登場してしまうのですが、本作「ココ」の悪役はポケモンを使いません。
ココやピカチュウを拘束する際には部下の研究員がアリアドスを使用していましたが、その描写以外では悪役はポケモンを使わず「ポケモンなんて」「ポケモンごとき」と「ポケモンは人間より下である」という感情をむき出しにして暴れているシーンが描かれていました。
それまでの「とうちゃんザルード」「ザルードの群れ」「ジャングルのポケモン」「外部の人間」の対立関係はこの悪役の前に全て崩れ去り、ココという存在を通して、「ジャングルとポケモンを守ろうとする者」「ジャングルを破壊する一人の悪役」の構図へと変化しています。
「親子」をテーマとしている本作ですが、それだけではなく「人間とポケモン」の関係についても綿密に描かれており、「大切なものを守るために種族も出自も関係ない」ことが映画全体を通して表現されているように思います。
この時のジャングルのポケモンを引き連れてきたとうちゃんザルードの勇姿は筆舌し難いかっこよさがあります。ゲームでこのフォルムで使わせてほしい。
終盤、ココがとうちゃんザルードを治療するシーンに関しては作中では「ポケモンではないココにはできない」という表現からの「奇跡」が起きます。作品の進行上、都合よく…とも考えられなくはないですが「特別なザルードにしか使えない」と言いつつゲーム内では「とうちゃんザルード」「ザルード」両方が習得することができることもあるので、もしかしたら治癒の水で育ってきた生き物が使えるようになる技なのかもしれませんね。キン肉マンでいう知恵の水を浴びてフェイスフラッシュが使えるようになるアレです。
そして最後はジャングルの復興をするポケモンと人間の姿が、「掟の歌」もアレンジされて流れます。劇場でかなり涙流していたことも有りもしかしたら記憶違いかもしれませんが、「さぁうたえ ザルード」は「さぁうたえ みんな」に変わっていたような気がします。
最初から最後まで「父親」としてのザルードと自身の存在に葛藤するココそしてラストシーンでも「父親としての気遣い」「親は何でも知っている」かのような演出…とにかく語るに尽くせない濃密な時間でした。
感想(というか伝えたかったことを全部書きなぐっただけ)を書いてこんなことを書くのはお門違いかもしれませんが、良い作品に感じた気持ちを文章にするのは難しいので、是非!劇場に足を運んでみてください!
正直私の拙い文章で伝わるかはわかりませんが、ホントに、良い作品でした。
個人的に好きなポケモン映画ランキングの更新はされそうです、いやほんと。
余談ですが、サトシが自分の父親について言及したのは、20年以上続いているポケモンアニメ史初めての出来事でしたね。