モンダイナイトリッパーの問題について
※名取さなの個人的解釈を多く含みます。
メチャ・ハッピー・ショーの内容に触れますが、どちらかというと去年のばくたん。ラストの演出だったりそういう方向の考察です。
(2022.03.15 あまりにもまとまりがなかったため整理を兼ねて加筆修正)
またそのため一部表現が暗く、気分を害す可能性があるため、どうかそういう考察であると一笑に付すことのできる方のみ読み進んでくださいますようお願い致します。
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《歌詞全文》
キボウ ヤボウ デクノボウ
ナンでも看でもハンデも 詰め込んじゃって!
心拍(ココロ)の夜に飛び出した トラベル計画316
真ッ白なこの客室も
コントラストに輝くディスプレイ(けしき)も
さレディゴーってフリックしてうおお~っとキてシビれてブワってやっていく!
アンマンいっぱいで キョンシたいなっちゅーか
おそろしあ!?極寒 猛 どっかん!?直感でイカナイカ!
インドアからドアトゥドゥワドゥワ♪ダンス縁ナンス(ナース)!
限界ツアーだ!サイコーなTripper
いろんな床(トコ) 駆け巡るアラウンド・ザ・ワールド
世界中のみんなも心拍不安定(どきどき)も!
めぐり合って笑っていっちゃえばウィーアー・ザ・ワールド
限界5号(ゴーゴー)だ!もっとデイドリーマー
スマートに汽笛(アラート)を打ち鳴らせばハイヤー
あれっ!体力(バッテリー)が足りないや!?
じゃあ今日はキョウで もう そう オヤスミ!
また明日も晴れるかな?
キボウ ヤボウ デクノボウ
キジョウ イジョウ アンナイジョウ
キボウ ヤボウ デクノボウ
キジョウ イジョウ アンナイジョウ
ダイサンジパング!?電脳系でハイエンドにお茶しちゃう?
フラフランス!? 芸術的視点なら包帯(ぐるぐる)もアートじゃん!!
世界中の 素敵なChannnelをあつめたらセンシュセンセイ!
さ レディゴーってフリックしてうおお~っとキてシビれてブワってやっていきたいんだ人生!
限界ツアーだ!サイコーなTripper
アメリカヨーロッパアジアみんなでどうだい
気まぐれ航路で全身不安定(ハラハラ)だ!
無事まわってにこってサイキョーで超オールオッケー
限界続行だ!もっとデイドリーマー
ワタシノナリタカッタワタシノミライフ!
ぐわあ!ちょっと消灯時間(タイムオーバー)じゃん
じゃあ今日はキョウで もう そう オヤスミ!
明日もめちゃめちゃマイライフ!
世界十周に心酔なTripper
次は うみこえ そらこえ にじをこえて 宇宙の果て!
なんてエンドリーマー…!?
めぐり合って笑っていっちゃった夢の先 真ッ白の先
限界なんてない!創造(想像)なTripper
宇宙も未来も駆け巡れアラウンド・ザ・ギャラクシー
理想もリアルも心拍不安定(どきどき)も!
アリガトウにデッカくてビッグバンしちゃいそう!?
最終列車はまだ来ないぞ!?
スマイルとアラームで打ち鳴らせよ心臓(ライフ)
XXX(ほし)の川辺にバイバイさん!
心拍(ココロ)の夜 かかる虹
トラベル計画316
明日もよろしくマイワールド!
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自分が改めてこの歌詞を読んだとき、思い浮かべたのは宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」、でした。
ご存知の方も多いとは思いますが、「銀河鉄道の夜」は孤独な主人公が夢の中で親友と二人、銀河鉄道に乗って旅をする夢を見ながら、本当の現実では親友と死別をする物語です。
視点は交わりこそすれ、主人公にとっては「夢」。
親友にとっては「死出の旅」のようなものです。
それらを踏まえて、今まで表現されてきた名取さなに置き換えて読み取れる範囲で歌詞を解釈してみます。
解釈の都合上、銀河鉄道の夜でいうところの夢を見ている主人公の視点を名取さなと定義し、親友の視点は「わたし」もしくは「名取■奈」とざっくり定義しています。
>キボウ ヤボウ デクノボウ
歌いだしから、夢を見ている名取さなの視点ではキボウ(も)ヤボウ(もある)。
けれど、現実の「わたし」の体はデクノボウ(のように動かない)とも取れます。
このデクノボウという表現も、若干宮沢賢治先生の「雨ニモ負ケズ」を想起します。
>ナンでも看でもハンデも 詰め込んじゃって!
ナンでも看でも、は看護師……ナースへの憧れなのでしょうか。
名取さなの最初期のツイートも、そういったものであったはずです。
(最初期の名取さなのツイートが、どちらの視点かは判別がしにくいところです)
また直接的ですが、ハンデを詰め込むというのも名取さな、もしくは「わたし」が身体的、もしくは精神的に何らかを抱えていることを示唆しています。
今年のイベントでお洋服が「外に出られない」と言ったのも、自身の状態にかかっているのかもしれません。
>トラベル計画316
多くのせんせえ方が仰ってるように、3/16に最初の動画がアップされていることを指している?
ここで少し気になったのは、トラベルという単語も使っているのに曲のタイトルが「モンダイナイトラベラー」ではなく「モンダイナイトリッパー」になったことでしょうか。
※2022.03.27の同時視聴にて、最初の動画投稿日ではないことが示されましたが、逆説的に言えば316には何らかの意味が込められているのでしょう。
>真ッ白なこの客室も
>コントラストに輝くディスプレイ(けしき)も
真っ白な客室はサナトリウムの病室であり、「わたし」はディスプレイ越しにしか世界を知ることができない状態にある。
また、ライトに照らされた舞台で歌う名取さな視点からすれば、コントラストに輝く景色はサイリウムの光に当てはまるのかもしれません。ゲーミング感情……
>限界ツアーだ!サイコーなTripper
>いろんな床(トコ) 駆け巡るアラウンド・ザ・ワールド
名取さなの夢として捉えるなら、バーチャル世界を通じて言葉通り世界中を駆け巡る旅の途中という部分でしょうか。
ただ、トリップは旅を意味しますが、それ以外にも単語として踏み外す、つまずくという意味だったり、いわゆるアングラ的な言葉で幻覚に関係した意味を持っていたりします。
いろんな床を駆け巡るというのも、現実の「わたし」がサナトリウムから出られない……もしくは、似たような施設、病室をたらい回しになっていたことを言っているのかもしれません。
>限界5号(ゴーゴー)だ!もっとデイドリーマー
デイドリーマーというのも、名取さなのショーの流れで行くなら夢を追う人と受け取るのが素直なところですが、ダイレクトに訳すなら白昼夢を見る人となっています。
「わたし」は一体、どんな夢を見ているのでしょう……
>じゃあ今日はキョウで もう そう オヤスミ!
この流れで出てくる妄想、というのも、「わたし」にとってのそういうミーニングを含ませているのでは……と解釈できます。
>キボウ ヤボウ デクノボウ
>キジョウ イジョウ アンナイジョウ
キジョウ(机上?) イジョウ(異常?)となるのなら、外に出られない何らかの異常があり、希望も野望も机上で想像をするしかない。
案内状は名取さなであれば旅のチケットとも取れますが、「名取■奈」がサナトリウムへ入るためのものとも取れます。
>フラフランス!? 芸術的視点なら包帯(ぐるぐる)もアートじゃん!!
フランス出身ではないですが、フランスにいた芸術家で包帯、ぐるぐると言えばゴッホです。
包帯を巻いた自画像はもちろんのこと、ゴッホの半生もまた、病院とは切っても切り離せません。
代表作の一つである星月夜という作品もまた、銀河鉄道の夜のイメージにみあうものだと思います。
(こじつけ過ぎるので関連しているとは思わないですが、日本で出版されている絵本に「ゴッホの絵本 うずまき ぐるぐる」というものがあり、その表紙は星月夜が飾っています)
>ワタシノナリタカッタワタシノミライフ!
「わたしが なりたかった わたしへ」
この表現が使われた際の映像における名取さなは、名取■奈との関係を思い起こさせます。
>消灯時間(タイムオーバー)じゃん
>明日もめちゃめちゃマイライフ!
名取さなの目線でポジティブにとれば「めちゃめちゃ(満喫する)マイライフ!」ですが、今までの歌詞を踏まえると「わたし」の「めちゃめちゃ(になってしまったままの)マイライフ」、とも読めます。
>エンドリーマー…!?
>めぐり合って笑っていっちゃった夢の先 真ッ白の先
名取さなが笑っていっちゃう夢の先と、名取■奈がいってしまう真ッ白(病室)の未来にあるものは。
個人的には快方……であってほしいと願います。
考察とはいえ、別の未来を想像して書いてると気分が落ち込んできます。
>理想もリアルも心拍不安定(どきどき)も!
ここもまた、「わたしが なりたかった わたしへ」に繋がる要素に。
理想の名取さなは夢を見てどきどきしている。
……では、名取■奈は。
>最終列車はまだ来ないぞ!?
>スマイルとアラームで打ち鳴らせよ心臓(ライフ)
>XXX(ほし)の川辺にバイバイさん!
「銀河鉄道の夜」において、親友の死因は、川に落ちた同級生を助けて自分は溺れてしまうことによる。
主人公は銀河鉄道の夢から覚めて、現実の別れを知ります。
名取さながスマイルで打ち鳴らす心臓はきっと、夢見た世界でやまずに高鳴る胸でしょう。
アラームは目覚まし。現実の「わたし」が全身不安定、心拍不安定で打ち鳴らすライフ。
>明日もよろしくマイワールド!
ステージ上で元気に歌う名取さなのマイワールド。
ハンデを詰め込んでディスプレイをフリックして見るマイワールド。
どちらも「名取さな」であり、「わたし」。
ただし決定的なまでに、住んでいる世界が、見えている世界が違いすぎる。
「名取■奈」にとって明日とは当然続くものではなく、目が覚めることが、一日がまた来てくれることを願いながら迎えるものなのでしょうか。
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昨年のさなのばくたん。は、ばくさん。を乗り越えてみんなが待ちに待ったお誕生日会であったこと。
その最後にあの演出を持ってきている以上、これらの要素もまた名取さなが表現したいものであり、個人的にはやはりそれも肯定したいと思っています。
今までにも散々考察をされている方向性ですし、メチャ・ハッピー・ショーの笑顔溢れるイベントの後、MVもきっと明るいものとして制作されるだろうと考えて、乱文ではありますが自分なりの解釈を書き連ねさせて頂きました。
名取さなの続く明日が、どうか良き旅路になりますように。