竹林の小径で空を仰ぐ
2018年12月、京都奈良の旅1日目。渡月橋ののち、竹林の小径へ向かう。嵐山を観光するにあたり、そこは渡月橋にならぶ名所である。しかし有名な観光地とはいえ実際にそこを訪れてみると、イメージと現実のギャップに遭遇することがままあるものだ。正直にいうと竹林の小径もそんな雰囲気があった。とくに歩きはじめてしばらくは、竹林のような違うような微妙な景色がつづくのだ。歩いているだれもが、もしやとの不安がよぎっていたかもしれない。
とくにこれから訪れる目的が、青々とした竹林の鑑賞であれば、その期待は季節、時間帯、天候、降り注ぐ光の量に左右されるだろう。しかし一番の問題は他にある。おどろくなかれ、オフシーズンである12月の平日でさえ、ここ竹林の小径は観光客だらけなのだ。ハイシーズンともなれば芋洗い状態になるだろう。わたしのようにミラーレスカメラの場合、立ち止まって構えて写真を撮ることは難しいかもしれない。
ちなみに下の写真は観光客の頭が入らないように撮ったものだ。とにもかくにもひと、ひと、ひとなのだ。
ひとは多いものの、偶然だれも居ない空間を見つけることができた。みんな立ち止まって前後左右の竹林を撮ることに夢中だ。ちょうどそのとき、空から光が差し込んできた。仰いでカメラを構える。運良く青空を取り入れた写真が撮れた。カメラでの撮影には光が必要だ。わたしのようなアマチュアには強い自然光が欠かせない。じつはこの日、青空を見ることができたのはこの時間までだった。結果として、良いタイミングで訪れることができたのは幸運といえよう。
御存知の通り嵐山も見どころの場所は多く、限られた時間で回るのは厳しい。名残惜しいが、残りは次の機会にとっておくことにする。そこでひとまずJR嵯峨野線で京都駅に向かうことにした。駅のホームに入ってきた電車は、東京では馴染みのないコンパクトな車両編成だった。
電車の中は観光客でいっぱいだ。繰り返すが平日の昼間である。出発した車内はいたるところで賑やかな中国語がとびかいはじめた。彼の国のひとびとは、まわりに気を使わないところが、見ていて逆に清々しく感じることがある。目をとじて中国語に耳を傾けてみる。理解はできないが、まるで中国で旅をしているかのような心地になった。
しかし、度をこえた賑やかさに発展した車内に耐えきれず目を開けてしまった。ふと窓の外に目をやると、京都のランドマークである京都タワーが近づいてきた。見上げると先ほどの青空は消え去り、なにやら怪しげな雲が垂れ込めていた。