正月気分
突然だが、年の瀬の雰囲気が好きだ。とくに仕事納めの夜なんか最高だ。その日から正月三が日までの数日はあっという間ではあるが、GWよりも盆休みよりもSWよりも好きだったりする。
一年の反省、新年の抱負と意気込み、新しいことへの期待、どこにでも行くことができ、気の向くままに好き勝手に過ごせる時間、これこそがわたしにとっての正月気分であると念のため定義しておきたい。
早いもので東京地方は空梅雨全開のなかあっという間に7月も中旬を迎えた。今年も残り半分になってしまった。
とはいえ、この半年間が長かったのも事実。世間では良いニュースよりも悪いニュースが目立っていた気がする。円安、増税、生活必需品の値上・・・この状況はこの先も続く。同様に異常に暑い夏、暑い秋もずっと続くのだ。
そこで、己の中に潜むモヤモヤとした停滞感に気分転換をしてみたいと思う。
撮ったままにしていた今年の正月の写真を振り返り、幸せな正月気分を思い出すのだ。
世のなかにはこれまでの人生で、まわりのひとたちから「いつまでも正月気分で!」と叱られたひともいるかもしれない。いやいや、「正月気分」こそ、だれもが日々忘れてはいけない言葉であり、気持ちであり、感覚である。わたしはというと、今後だれかに叱られることがあれば、「あなたこそ、正月気分を忘れるとはどういうことか!」と、はっきりと反論していきたい。初心忘るべからずとはこのことなのだから。
さて、かつてこの国では春秋二倍年暦といって1年を2回に分けて暮らしていた可能性がある。このことは古代史が好きなひとなら知っているかもしれない。農業における春の耕作期と秋の収穫期のそれぞれを1年としていた説である。6月と12月は晦日を迎え、半年ごとに新たな年を始めていた。結果、古代天皇の年齢が2倍だったという解釈にもつながることになる。
ということで、7月は新しい年のはじまり。二度目の正月だ。どうだ、めでたいだろう。これで少しは気分も変わるかもしれない。あとは写真の現像だけだ。
振り返る場所は好きな街のひとつである浅草。初めて一人で探索したのは中学生だった。あの頃のワクワクした感じは今も変わらないと思う。しかも、いまはカメラがあるのだ。半年前の写真をコレクトしていくなかで、当時の大きな波に乗った流行病の一方で、大いに混雑していた浅草の街を思い出した。
これはそのときの記録。
撮りっぱなしだった写真がほんの少しだけ捌けた。
おしまい