○○な雛形
彼が空に旅立って早いもので3ヶ月が経ちました。
【自分達でなんとかしようとしてた】
今年の1月の終わりに胃ガンと宣告された時、私達お互いの脳裏には加藤さんしか浮かびませんでした。
だからといって自分達は何も努力せずに「加藤さん助けてくださーい!」というのは甘えだと思い、自分達にできることはやるだけやろうと決意しました。
切る・焼く・盛るの西洋医学の三大療法をせずにガンサバイバーになれた暁には本を出して印税生活を夢見たり、悲観的にはならずに「やったるでー!」と意気込んでました。
添加物盛り盛りなジャンクな飲み物・食べ物が大好きな彼は「なぜ自分が胃ガンに?とは思わないな」と言った。
2〜4月はひたすらガンや健康関連の本を買い漁ってはインプットし生活に取り入れていった。
本から得る知識はどれもこれも脱洗脳の頃から加藤さんが発信されていたことなのに、自分ごとになって初めて掘り下げて調べる始末。
知ってはいるけど、わかってはいるだけでその先を深く調べたりせずに流してしまっていた。
血液の汚れが原因だと知れば浄化・デトックスのために有効な食べ物や飲み物をバンバン摂取し、食事療法や様々な温熱療法を日々行い、ガンヒプノセラピーを受けたり、イメージ療法をやってみたり、色んな人達から話を聞いたりアドバイスを受けたり…
治す氣満々なので緩和ケアや終末医療を勧めてくる人達には「いやいや、死なねーから」と突き放したくなった。
デトックスのための飲食・様々な代替療法、これらが効果がない訳ではない。
有効な情報を数多く発信しているガンサバイバーも
「小手先ではなく心が入れ替わるくらいのことにならなければ根治は難しい。ガンは生き方を変えなさいといってる」
とツイートしている。
加藤さんがいつも仰っている『在り方』だ。
在り方を変えなければ変化は起きない。
サポートする側の私としては彼に小手先(物理)でしかアプローチできないけど、それでも解毒の為にやらないよりはマシだと思い、良いとされるものはバンバン生活に取り入れていった。
対して彼は
「早くサレンダーが訪れないかなぁ」と
“全てを手放した時に起きる奇跡”を期待していた。
それなんだか違う…と思っていても語彙力の乏しさで何がどう違うのか説明ができなくてもどかしい日々が続いた。
ステージ4のガン患者とは思えないほど普通に飲食し出勤していたが、5月中旬あたりから胃からの出血により徐々に貧血症状が進み、6月から休職することになりました。
定期的に行っていた血液検査での数値は下がることはなくどんどん上がっていった。
物理に囚われまくり、数値ばかりが気になっていた。
今実際にどんな状態なのかを詳しく知りたくて紹介された大病院で診察を受けた際に「自分達でなんとかするのはもう無理だ」と判断し、加藤さんに祓いをお願いしよう!となった。
ちょうどこの頃加藤さんのツイートに『蘇生』というワードが出てきていた。
【祓いを依頼】
7/6に祓いをお願いしました。
祓いを受ける条件は三大治療を受けていないことだった→セーフ
(実はガン発覚当初に彼は「切るのはいいんじゃね?」と思っていた)
そして翌日祓いを受理して頂いた。
突き放されず受理して頂けたことに心からの感謝と安堵が湧き上がった。
加藤さんが彼の厄を背負ってくださる。
彼の体調と服用した薬も同期し加藤さんのカラダにかかる負担も想像を絶するし、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
受理された後に大病院で6日間の検査入院を控えていたが、1日20,000円の個室が6日間無料で使わせてもらえるという奇跡が起きた!
この検査入院では極度の貧血により輸血が施された。
加藤さんから輸血の危険性を充分教えて頂いていたからこそ彼は輸血を相当悩んでいたが、失血による突然死もあり得ると言われ結局受けることにした。
この検査入院中に余命を聞く機会があり、聞くも聞かないも本人の自由だったが、加藤さんの祓い(蘇生)を受けて完治した暁には「余命〇〇ヶ月のガンが治った!」というキャッチワードが欲しいために私だけ余命を聞くことにした。
退院後にもう一度その大病院で受診したが三大医療を拒否している故、病院ではもう何もすることがないわけで薬の処方だけで終了した。
その後加藤さんオススメの「血液の闇」を読み輸血してしまったことに震え上がっていた。
病院との繋がりが途絶え、
「薬をもらうのにどこかの医療と繋がらなきゃならない」
との彼の言葉に何か違和感を感じたものの、当事者としてはそう思うのは当然かもなぁと思い受け入れ先を探した。
緩和ケアを行っているどの医療も新規のガン患者は紹介状を持っていても受け入れを拒否され、たどり着いたのは終末医療の在宅ケア。
不本意だけどそこと繋がることとなった。
8月の上旬からは貧血もなくなり、セッションの数日前からどんどん元気になっていく彼。
そして8/10待望のセッションに向かう。
大好きな加藤さんにお会いできることが嬉しくて嬉しくて、彼のテンションは爆上がり。
杖も必要ないほど普通に歩いている。
加藤さんパワーに驚愕です。
セッション前にはSACHI菓子でケーキをお腹いっぱい食べてパワーもMAXに。
【何を拠り所にしているか?】
セッションではガン発覚後にすぐに加藤さんを頼らなかったのは何か別なものを「拠り所」にしていたのではないか?という話の中でAさんの存在が浮かび上がった。
2015年に私はAさんから瞑想を習っていた過去があった。
数年前にAさん企画のイベントに加藤さんが参加された際に、Aさんは加藤さんと目を全く合わせなかったそうです。
その話を何年か前に加藤さんから聞いていたものの、呑気な私は「そうなんだー」と思うだけでAさんが加藤さんに対して敵意を持っているということに気づけていませんでした。
私ももう何年もAさん企画のイベントには参加しておらず関係ないと思っていた。
しかし…
私達はこの6年間の間に2度の引越をしているのですが、Aさんからオススメされた占い師Bさんに会い、Bさんの言われる通りに方角や時期を決めての引越をしていた。
それは私が過去に引越により起きた数々の恐怖体験により『方角や時期』にかなり神経質になっていたからだった。
開運のための引越しだった。
その結果がこの現状だ。
自覚無く加藤さん以外の人を拠り所にしていたのです。
祓いを申し込んだ瞬間から変化が起こると言われているのに、認知できていない私達のせいで加藤さんの力を受け取れない状態だったことが判明した。
また薬についても、彼もどうやって薬から離れていけば良いのか悩んでいた。
ガンの為に今処方されている痛み止めや止血剤などの薬についても加藤さんは「潜在意識で信じているものを否定、抑圧したところで絶対に反発が起きるだけ。それで不安になるなら今はやめなくてもいい」と仰ってくださいました。
加藤さんのセッション後
胃の2/3がガンに侵されているけど、念願だった加藤さんオススメの蛯沢そばも美味しく頂けたほど絶好調に!
意欲に満ち溢れ、食べ物が美味しく、何事にも感謝が溢れ、今までの病人病人した状況はなんだったのか?と思うほどの変わりようでした。
8月はたくさんの友達に会いに来てもらい、たくさん散歩して元気に過ごしていた。
悩みながら少しずつ減薬もしていった。
しかし9月に入り日々膨らんでいく肝臓、徐々に落ちていく食欲、貧血の再発、むくみ、筋力の低下などにより彼もどんどん不安に陥っていく。
何がいけないんだろう?
まだ加藤さんを信じきれてないのか?
と焦る日々。
【加藤さんにも言えないこと】
9/13の夜、いつもは自分で薬を用意して服用しているのだけど、その日は私が用意して彼にひとつずつ手渡していた。
ガンの為に処方された薬の最後に「入眠剤M」を手渡した時にハッとした。
実は祓いを申し込んだ際に
●加藤さん以外の別なもの(人)を拠り所にしてはいないか?
●加藤さんにも言えないことがあるのではないか?
と聞かれていた。
これらがあると加藤さんの力を妨害してしまうからだった。
セッションで無自覚に拠り所にしていたものは判明し、それが加藤さんにも言えないことなのだと思っていた。
言えないこと…M!これだ!!
過去に幻覚を楽しみたくて酒とMを何錠も服用しては暴れること数回。
Mがなくてもイビキをかいて寝ているのに「寝られない」とMを手放さない。
どんなに取り上げても隠してもコッソリもらってきてしまう。
彼は14〜5年くらい前からM依存症だった。
Mがなくても眠れていることを指摘すれば
「俺は布団に入ったら気絶するみたいにすぐに眠りたいんだ!」とキレられる。
私がMを好ましく思っていないことも知ってる。
今回も医者にお願いして処方してもらっていたが、病人なので私も黙認してしまっていた。
彼はガンの為に処方されている全ての薬を手放してもMだけはどうしても手放したくないと思っていると、そしてMが欲しい為に医療と繋がっていたいとその時白状した。
わかったフリをして西洋医学を否定しながら、本当はMを手に入れる為に思いっきり医療を求めていた。
私「加藤さんの力をブロックしているのはMを手放せないその心だよ」
彼「えーっ⁉︎」
しばらくして
彼「それが正解のような気がしてきた」と。
彼はその夜はMを服用せずにM依存について考えていた。
しかし翌朝
彼「でもなぁ〜」
え⁉︎
こんな切羽詰まった状況なのにまだ快を選ぶのか⁉︎
彼は勤務先の医療機関で診察せずにMを処方してもらえることがめっちゃ嬉しかったんだと語る。
彼が長くそこに勤められたのはMの為だったのか…。
私「聞くまでもないけど、生きることとMのどちらを選ぶ?」
彼「…………生きることを選ぶよ!」
その日の彼の日記アプリには
『断Mを決意‼️ 誇らしい』
と記されていました。
彼がMの断薬を決意できたのは
意識が無くなる前日のことでした。
追い込まれた人間がそれでもまだ頑なに自分を変えることができなかった。
カラダを張って導いてくれる人がいても
頑なに変わらない、変えられない、変えようとしないことがどれだけ愚かな事なのか。
彼も本当は気づいていたと思う。
というのは私が壮絶な断薬経験を過去にしており、彼はその話を療養中に何度も聞かせて欲しいと言ってきた。
その時なんで気づいてあげられなかったんだろうと、せめてあと半月でも早くM依存が原因だと気づいていれば…と悔やまれます。
気づいていたけどそれが加藤さんの力をブロックしているということに結びつかなかったのか、またはこのくらいどおってことないだろうと思っていたのか…。
カラダの状態や数値などの物理に振り回され、加藤さんに軸を合わせきれてなかった。
そして
彼の命の火は消え
私はいちばん近い人を亡くした
考え方も価値観も受け取れなさ加減も似たもの夫婦。
命を落としたのは私だったかもしれない。
わかった氣でいることが、受け取らないことがどれほど危険なことなのか。
変わらなければ、受け取らなければ本当に淘汰される時代に入っているんだと身をもって痛感いたしました。
彼が亡くなった後の『K労LIVE』で加藤さんは最後に「死ぬなよ」と。
どんなに辛く苦しい思いで皆さんに伝えてくださったのだろう。
私達夫婦を『愚かな雛形』としてシェアさせて頂きます。
加藤さん
こんな愚かで受け取れない私達夫婦の為にカラダを張って力を使ってくださいまして本当に本当にありがとうございました。
最後まで美味しく食べられ楽しく過ごせられたこと、黄疸も出ず強い痛みに苦しむこともなく穏やかに逝けたのは加藤さんのお力に護られていたからこその奇跡です。
長文お読み下さいましてありがとうございました
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