教科書から世界が見える
「なんでこの人は、上半身裸で、しかもカレーばっか食べてんの?」
家に帰って、国語の教科書を読みながら、母に質問する。早くおやつが食べたい。
今でこそ、インターネットで検索して、一瞬でどこへでも行けるし、知りたいことは何でもわかる。でも、30年ほど前、小学生だった私には、教科書に掲載された小さな写真一枚で、世界へ飛べるほど想像力豊かな子どもではなかったから、母に何度も聞きまくる。母も困惑したに違いない。
世界にはカレーばかり食べる人がいる、上半身裸で地下深く鉱山で働く人がいる、子どもがなんか多い…田舎の小学4年生が思いついた感想はたかだかこのレベルである。
『一本の鉛筆の向こうに』というタイトルのとおり、自分たちが普段使っている鉛筆ができるのは、日本から遠く離れたスリランカで、一生懸命鉱山から鉛筆の先っぽの芯の原料となる黒鉛を切り出すポディマハッタヤさんのような人たちがいるからですよ、というメッセージにどれほどの小学生がたどり着いたかわからない。結構難しいテーマだよ、これ。
それでも、30年たって、1つのツイッターのトレンド記事が目についた。なんとポディマハッタヤさんが亡くなったらしい。ずっと忘れていた。鉛筆も、スリランカも、今は亡き母に、家で質問し倒していたことも。ポディマハッタヤさんに当時手紙を書いていたことも。
どうやら、自分の他にもポディマハッタヤさんに手紙を書いていた小学生がいたことは、まあ想像できたけれど、この物語をきっかけに現地を訪れた人たちが少なからずいたことには驚かされた。
当時の自分にはそんな行動力はなかったけれど、今こうして、世界を飛び回る仕事をしている。教科書の小さな写真が小さくない影響力を持って、私の心を押し続けてきたんだ、と思うと、あれだけ苦手だった家での教科書読みも「悪くないじゃん」とつぶやける。けっこう今の私、世界を見たがるお母さんになってるし。
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