それぞれの事情
5年ほど前、阪神尼崎の界隈で働いていた時のこと。
歩いて駅に向かっていると、前に制服姿の男女。
信号が赤になった横断歩道の前で立ち止まる二人を眺める。
「なあ、好きな子おるんか」
「おるよ」
あっという間の出来事だった。
信号が青になると、彼をおいて彼女はさっさと歩き始めてしまう。
彼の夏が終わった。終わってしまった。
彼女は振り返ることも、立ち止まることもしない。歩き続けて夕日の中に姿を隠してしまう。
ずるいよずるいよ。そういうのはダメなんだ。彼の気持ちに気が付いていたでしょう。その距離、熱量、まなざし。いつの日からか、毎日どこかで彼の温かい気持ちに触れていたはずなのに。横断歩道においてきぼりの彼の気持ちを誰か連れていって。
感情が泡立つ。恋は痛みを知れるからした方がいいなんて嘘だって。痛みはないほうがいい。痛みをバネにしなくてもいい。
彼は彼女の後ろ姿をしばらく見つめた後、歩き始めた。何もなかったかのように。
駅の外にまで発車音が鳴り響き、ホームに止まっていた電車がゆっくりと出発する。次の駅は甲子園だ。
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