ショートショート「思い出の味」
立石宏和はキッチンで仁王立ちしている。もうすぐ妻の香織が実家から帰ってくる。それまでに難題を解決し、美味い、あの焼き飯を再現せねばならなかった。
宏和が、部活終わりに初めてあの店を訪れたのは高校1年の頃だった。全国大会に向け強豪との過酷な練習試合を終え、膝を曲げることさえできなくなった宏和を先輩が労い連れてきてくれた。
「宏和。どうだ?ここ焼き飯は美味いだろう。俺らバスケ部の伝統の行きつけ店だぞ」
先輩は笑いながら「チャーハンじゃなくて焼き飯。そこがいいんだ」と言った。
「美味いです。なんか家で食うのとは違う、旨味がどーんって押し寄せてきます」
宏和が貧相なボキャブラリーに加え、両手を広げて味を表現したことに、先輩とカウンター越しの老いた店主もコロコロと笑った。恥ずかしくなった宏和が周りを見渡すと、ひとつだけ設置されたテーブルに座る2人の女子生徒がいた。彼女らもこっちを見て笑っていた。
「なんだ。お前も来てたのか」
宏和の先輩は女子生徒の座るテーブルを見つけると、声を掛けた。
「なんだってなによ。いいじゃない女バスだって行きつけなんだから」
そういうと女子生徒は笑いながら、隣に座る後輩と思しき女子に相槌を求めた。その女子は控えめに頷きながら宏和を見て、笑った。
これが宏和と香織の出会いだった。
出会って、10年。結婚してから3年が経つ。仲は相変わらず良かったが、コロナ禍で2人ともテレワークになり、些細なことで喧嘩をすることが増えてきていた。仕事優先で、家にいるのに家事をしない宏和に香織が怒っているようだった。
宏和がテレワークに慣れた頃、香織は実家で親類の集まりがあるとの事で3日ほど家を空けることになった。宏和はここぞとばかりに
ーー掃除、洗濯、ご飯は任せてくれ。自分で食う飯くらい作れるさ
と言って胸を張った。香織は苦笑いしていた。
宏和は味に悩んでいる。どうしてもあの店の焼き飯が再現できなかった。
自分で食べる焼き飯ならそれでも良かったが、家事ができることを香織にも認めてもらいたくて、
ーー今夜のご飯は俺が作るから急いで帰って来なくていい
と、実家の香織に伝えしまったのだ。
後戻りはできない。なんとしてもあの味を再現し、料理ができる姿を見せたかった。
宏和は当時の店の味を知る友人に片っ端から連絡し、覚えている具材、調味料、味を聞いた。かまぼこ、豚肉、玉ねぎ、多めの塩胡椒。色々集まってきたが、肝心の味がいつまで経ってもぼやけたままだった。あの疲れた体を癒す、暴力的な旨さには届かない。
ーーただいま。
妻の香織がマンションのドアを開け、入ってくる。間に合わなかった。宏和は肩を落とした。
「おかえり」
「何作ったの?早く食べたい」
「焼き飯だよ。ごめん、あんまりうまくいかなかった」
宏和は大きな体を窄めるようにして言葉を絞り出した。
「焼き飯かぁ!懐かしいね。出来てるじゃん!一口もらうよ」
そう言うと香織はフライパンの焼き飯をスプーンで掬いパクッと食べた。
「……どうかな?あの店に近づけたくて色々試したんだけど、どうしても何かが足りなくて」
宏和は不安そうに聞いた。
「どうって。これとっても美味しいよ」
香織はそっとスプーンを置くと、
「あの店って高校の時の?懐かしいね。初めて宏和と会った時も食べてたし、あれから何回も食べたよね」
と言った。
「うん。俺と香織がキャプテンになって悩んでてた時とか受験前とか、とにかくなんかあったらあの店であの焼き飯を2人で食ったもんな」
宏和も遠い昔を思い出すように目を細めた。
「間違いない。この味ね!2人の青春の味。思い出させてくれてありがとね」
香織が10年前と変わらぬ笑顔で言った。
「でも、何かが足りないんだよ。もっと美味かったと思うんだ。香織もそう思わない?」
宏和の問いに香織は首を傾げ、
「それは思い出補正よ。こんなもんだったよあの店。塩っぱくて、辛くて。でもだから部活終わりに食べるのが最高だったのよ」
と言った。
宏和は言われて、もう一度自分で一口食べてみる。
「確かに。香織が隣にいると思い出が蘇って味が変わったよ」
2人はコロコロと笑った。
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