一生の仕事〜春ピリカ応募〜
川路遼は辞表を提出した。
40歳という働き盛りの遼に対して上司は慰留したがほどなく受理された。窓の外には雲雀が高く舞っている。
話は数ヶ月前に遡る。
近くの商店街を散歩していた時だった。骨董店で、一つの壺に心を奪われた。高さ30センチほどで、草花が描かれている。派手さはなく、シンプル。むしろボコボコとして不恰好でさえある。だが、美しい。
遼は、この壺に季節の花々を活けることができればどんなに美しいだろうかと思った。そして、こんなものが自分にも作れるとしたら。
「その壺に興味があるのかい」
振り返ると初老の店主が立っていた。遼が頷くと続けて、
「壺が欲しいなら買えばいい」と言った。
「いや……」
口籠る遼の心を見透かしたように
「作りたいのか?」
遼は頷いた。
「指を見せなさい」
店主は遼の掌や指を眺め、揉んだ。やがて
「この指では無理だな」と言った。
「何故ですか」
「指にまだ人生が詰まっていない。工芸品ってのは、作るようではいけない。生まれてくるようにならなければ。そして、それらを生み出すのは心であり、指だ」
店主は少し息をついて、
「陶芸をやりたいなら、この土と同じものを、この世の何処から探し出して持ってきなさい。そうしたらこの壺を作った者を紹介しよう」
そう言って小袋に入った土を遼に渡した。
ーーこの土を探し出し、壺を作ることが一生の仕事になる。
遼は漠然とそんな気がした。
話は、戻る。
仕事を辞めた遼は、土の名産地を訪ねた。土は片時も離さず、ずっと触るようにした。
旅する中で、粘り、色など土地ごとに違う土の性質を学んだ。
これまで蓄えたお金は旅費でみるみる無くなっていったが、まるで気にならないほど土探しに熱中した。
「この土は焼いた時どんな色になるのだろう」などと想像すると心が鞠をついたように跳ねた。何百と触れた土の感覚はどれも指先に記憶させるように丹念に違いを確かめた。
5年が経った。遼は再び骨董店を訪れた。両手に小袋を持っている。
「ほんとに見つけちまったのか。あんたは幸せだな」
店主は大きく笑った
「周りからは変人だと言われます」
「そうだろう。貯金も底をついたか。まぁ金は諦めるこった。だがな、人生死ぬ前に振り返った時、いままで何をしてきたか分からないやつばっかりさ。金、金と言って必死なやつ、ただ有名になりたくて騒いでいるやつ。そんなのが多い世の中で、あんたは人生を懸けられる仕事を一つ持ったんだ。これほどの幸せはない」
店主は5年ぶりに遼の指を見る。
「人生が宿ったみたいだな。工房は店の裏だ。ついてきな」
「あの壺はあなたが?」
遼は驚きを隠せず聞いた。
「いまのあんたなら指を見りゃわかるさ」
遼は店主の指を見る。
爪は真っ黒で、関節はゴツゴツしていて不恰好に曲がっている。決して綺麗ではないが、美しい。間違いなく店主の人生が詰まっていた。
(字数1200字)
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ギリギリの参加になってしまいました。
もっとゆっくり構想を練ろうと思っていたのに気づけば当日。
それでも、僕の信じる「指」の物語を書けた気がします。
運営の皆様、何卒よろしくお願いします!