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Twitterのスタンスの話
Twitter(現X以下Twitter)をやっていて「あ~ごめんね~」と、なんだか申し訳なくなってしまう出来事に遭遇した。
それ自体の内容は全然大したことではなく、よくあることなんだけど、ふと「長い間Twitterで遊んできたからスタンスがだいぶ変わってきたな」と実感するきっかけになったので、思ったことを少し書いていこうと思う。
始めたばかりの人との距離とか
まず、いつからか「フォローした人には絶対フォロバしてもらいたいし、かつ一定以上の絡みも欲しいという人」をフォロバしづらくなったなと思う。これはもう長いことそうかもしれない。
今の俺はアプリを開いても「呟く・興味のある人のツイートを読む」の2つのムーブをコンパクトに済ませるだけってことが多いので、上記のタイプの遊び方をしている人の期待には基本的に応えられなくて、フォロバしてもいつしかブロ解されているなんてことがよくある。普段は全然気が付かないんだけど、今回はそれを観測してしまって申し訳なくなったというのが冒頭の件だね。
この方たちって、要はTwitter上における「新規の絡み」「これから親密になれる人」を求めているから、自分が興味を持った相手が自分に対しても興味を持ってくれることに期待をしている状態なんだよね。欲求としては「叩いたら叩いた分だけ返ってきてほしい」が根底にあるから、一方通行だとちょっともどかしかったりもするし、しばらく片思いならフォローを外したりなんてこともあると思う。特に、実生活で暇な時間が多くてTwitterを触っている時間が長いという条件が重なると、自分のレスポンスが早く(多く)なる分、相手のレスポンスが気になってしまいがちになったりもするのかなと。最近Twitter始めました〜みたいな人にはそれがどうしても多くなるよね。
FF比が1:1な人は、その遊び方やその段階にいる人がそこそこいるので、自分が期待に応えられないことがわかっている以上、フォロバしづらい。たまに「フォロバしてきたけど全然いいねしてくれないからブロ解~」とか言われることもあって「あ~ごめんね~」となってしまう。
Twitterを長く遊んでいる人とはファーストコンタクトでなんとなく「距離感の一致」を感じることが多いから、今からフォローし合っても結構仲良くなれるんだけどね。
新規の交流はもう自分だけのペースで決めたい
俺はもうだいぶ前からずっとこれ。今も面白いリプライとか来るとすごい嬉しいからフォローするけど、そういう「自分のぺース」の範疇にある何かに興味が持てないと手が動かないんだよね。
(この状態にいる人に無理にレスポンスを求めてしまうのは良くないんだけど、これ誰も教えてくれないから初心者には難しいのかも)
俺もTwitterをやり始めた7年ほど前は、誰かがフォローしてくれた通知が見えたらすぐに無条件でフォローバックして、相手がどんなアカウントなのかをしっかりと認知した上でなるべく絡むようにしていた。自分からフォローするときも、相手がフォロバしてくれたら嬉しかったしね。その頃はフォローする・されるということに対して、それが人間とのコミュニケーションの入り口であるという認識が少し強かったんだと思う。
ただ、そうしてコミュニケーションを重ねていく中である程度「仲の良い人」が出来てくると、相対的に「大して仲良くはない人」ってのが生まれてくることになるよね。500人のFFがいて500人ちゃんと認知していても、実際に好んで絡むのは60人程度みたいな。
最初はフォローする・されるくらいのことだけでも面白いし楽しいから何も気にならなかったんだけど、だんだん仲の良い人とそうでもない人への興味や好意の度合いが、自分が誰に時間を使うかという優先順位にシンプルに表れてくるようになるんだよね。
そうなってくると、優先順位が高い人たちや、それに通ずる何かを持っているアカウントにしかもう目が向かなくなる。好き嫌いがハッキリしてきて目が情報を選ぶようになってくるから。それで「自分が興味を持った人だけをフォローすればいい」という原点に戻るわけだ。
要は、興味の薄いものなどの「もう意味を感じなくなった部分」に対して何らかの行動を起こすことに、ちゃんと疲れてしまうんだよね。時間は有限だし。アプリ開いて言いたいこと言って仲の良い人たちのツイートを見て、もうこの時点で結構時間を使ってしまうので、だらだらとアプリを眺めているより、欲求をコンパクトに満たして終わりっていう使い方に変わっていく。
そこで「仲の良い人と喋るだけのアカウントになる」か「フォロバしないアカウントになる」か のどっちかに寄っていくってケースはすごく多いと思う。フォロバしないとかフォローよりフォロワーのほうが多い人というのは、別に偉そうにしてるとかじゃなくて、自分のペースやスタンスを見つけたから自然とそうなってるだけなんだよね。必然的に「範囲を狭く閉じる or フォローという概念をあまり意識しなくなる」のどっちかになってしまうってこと。
今の自分の楽しみ方
今は「ツイートをしたい」みたいなキモい欲求を適当に解消して遊んでいるんだけど、正直「Twitterに張り付いている人に向けた言葉」は発しなくなったなと思う。というか、そうならないようにしてる。以前は「TwitterにいるTwitterっぽい人」に向けた言葉を出すほうがウケたからそうしてたんだけど、自分の年齢も年齢だし、子育てしてる人とか旅行ツイートしてる人とか、リアル寄りに使ってる人たちに向けた言葉を発するようになった。
だから昔はアニメアイコンのTwitterのオタクたちなんかがよくフォローしてくれてたんだけど、今はそうじゃなくなったから「フォローしてくれる人もだんだんマイルドになってきた」という感覚はある。アニメアイコンの人が嫌いとかは一切ないんだけど、正直「TwitterにいるTwitterっぽい人」って結構過激で騒がしいので、今の自分のスタンスには合わなくなっちゃったんだよね。病んでて攻撃的な人(落ち込みやすい人とかは別)とかもすごく面倒だなと思うようになった。
だからTwitterを適度にやってる層には好かれて、張り付いている且つ変な人たちにはちょっと嫌われるくらいの雰囲気でありたいと思ってやってたら、ちゃんとだんだんそういう風になってきた。こういう人たちにフォローされたい、という望みが少しずつ叶ってきてる。何を言うかって大事だね本当に。
あとは、新しく誰かと交流するのは面倒だけど、それとは別で面白いコミュニケーションは大好物なので、リプライとかはもらえるとすごく嬉しいんだよね。
俺があまり無造作にタイムラインを見ることがないせいで、特定の人以外にリプライを送ることがかなり減ってしまったから。
リプライしてくれてちょっとやりとりしたとか、そういうのがあるとフォロバも気持ちよくできるからめっちゃ助かる。楽しいのが一番良いことだから、そういうきっかけをもらってるな~と実感するよね。
もっと言うとこのnoteかな。俺はこっちでこうやって長い文章を書くのが好きだし、note面白いですって言われるのが何より嬉しいんだよね。
Twitterの人が好きそうな、対立構造への言及や考察意見なんかは話題として避けているんだけど、それでもTwitterの「さばりんご。」から多くの人が記事を辿ってくれるようになってきた。これが本当に嬉しい。
noteもコンテンツとしてもうちょっと育てていくつもりなので、これからが楽しみだなと。
Twitterに限らないことだと思うけど、そうやって「遊んでいくうちに楽しみ方が変わったり、新しい楽しみ方を見つけたりしていく」という流れがあるから、それが交わらない人に対しては申し訳ないけど「ごめんね~」としか言えなくて。
俺はどっちかって言うと人間関係がウエットで気にしいなほうだから、ちょっとでも気にすると疲れちゃったりして自分に優しくないんだよね。だから相手に合わせるとかじゃなくて、線引きを守ることに徹してる。
そんなこんなですが、これからもよろしくお願いします。