見出し画像

ピザカッターって貯金だ

 ピザカッターって「ほぼ要らないけど要るもの」のランキングでかなり上位に入るよな。俺も一応持ってるけど、キッチンの引き出しの中で見るたびに「こいつ要らないだろ」と思うんだよ。

  でも、持ってなかったとき(長い間持ってなかった)に何度も何度も「ピザカッターさえ持っていれば」と思いながら包丁を使ったことがあって、あのときの複雑な気持ちって俺なかなか忘れられないんだよな。

  結局のところ「なくてもなんとかなる」は事実だから、絶対に家にないといけないような道具ではない。でもやっぱりピザを包丁で切っている最中に、たとえばファミレスのピザをピザカッターで切っているときのこととかを思い出すよね。

  なんていうか、ピザが切れて欲しいのではなく、ピザカッターでピザを切りたい欲求っていうのが間違いなく存在するんだよな。しかもその欲求ってピザカッターが存在することによって初めて生まれる欲求だからかなりタチが悪くて、ピザカッターなんてものを知らなければ済んだ話だし、包丁使ったら少しやりづらいにせよ完全に切れちゃうんだよね。ピザカッターがあるからピザカッターを使いたくなるのであって、ピザカッターじゃなきゃピザが切れないわけじゃない。だから切った直後には「今ピザカッターがあったらなあ」と思っていたことは完全に忘れてしまうし、まるでそんなことを考えるシーンは人生に存在しないんだという気にさえなる。だから買わない人は絶対に買わない。「今欲しい」と思わされるシーンはあるけど「ないと困るから欲しい」と思わされるシーンがない。

 というか、包丁でピザ切ったことあります? あれ切りづらいけど全く問題なく切れるんだよね。上手くいったとかいかなかったとかもそんなになくて、毎回「まぁまぁ普通に切れたな」って、満足できるレベルには切れてくれるんだよ。そのクオリティで切れるなら、ピザカッターで切ったほうが上手く切れるとかも全然ない。でもね、ピザカッターで切った方が断然気持ち良いのよ。

  たとえばだけどさ、カッターナイフがなくて、ハサミを目一杯広げて片方の刃だけを使ってカッターナイフみたいに扱って紙を切ったことない? 感覚で言うと多分それに近い。丁寧にやれば満足のクオリティは出せるけど、ただただ気持ち悪い。
  ピザカッターが必要になるタイプのピザをめちゃくちゃ頻繁に食べる人だったらそりゃ持ってるだろうけど、大体の人ってそうじゃないと思うんだよね。宅配のは切れてるし、年に1回あるかないかとかでしょ。でも、その年に1回あるかないかのタイミングで、ピザカッターを持っていない人間は確実に「なんか気持ち悪いな」と思う経験をしなければならない。これって有事の際にピザが気持ちよく切れるというピザカッターの存在意義よりも、ピザカッターというものがこの世に存在することでそんな気持ち悪い思いをしなければならない人がたくさんいるという悲しみの量のほうがトータルしてデカいんじゃないかと思うんだよな。もはやピザカッターって多くの犠牲の上で一部の人間が快楽を得るためだけに存在する道具だろ。

 だからね、俺は買ったよ。ピザカッターが存在することによって生まれる悲しみを背負う側から、ピザカッターを持っていることによって快楽を得られる側に来るために。こんなもんどこにでも売ってますからね。簡単な仕事ですよ。
  ただ、マジで使わねえんだよな。そうやって買ったら買ったでまた別の悲しみを生むんだよコイツは。本当に業の深い存在なんだよな。マジで前世人殺しとかだろ。

  キッチンの引き出しに入れててポジショニング悪いとヒヤヒヤすることもあるしな。「あぶね~!ピザじゃなくて指をカットするとこだった~!まだピザもカットしたことないのに~!」みたいな。邪魔なんだよ。最近では邪魔すぎるから、引き出しの中で同じようにあんまり出番のない道具たちと一緒にギチギチに詰めて身動きが取れないようにしてる。俺が言うまでそこを動くな。

 まあでも、ちゃんと擁護側からも見てみるべきだなと思い始めたな、今。コイツってもともとアレだもんな、イタリア生まれだもんな。そりゃ俺たち日本人からしたらそうだよ。ピザを食べる機会がそもそも少ないし、そのうえで切れてるピザが存在するんだから。俺たち日本人がピザを食べなさすぎるだけなんだよ。

  あとさっき「ピザカッターはピザを気持ちよく切りたい人間がその欲求を解消する為だけに存在するオナニー用品。アナルビーズと一緒」って話をしたけど、ピザカッターの本質って「ピザを早く切ること」にあるのかもしれないな。というかそうだろ。ピザを同時にたくさん焼いたときは当然たくさん切らなければならないから、そうなってくると「包丁と同等にキレイに切れる」という大差ない事実よりも「包丁よりも早く切れる」という明らかに差のある事実のほうに目がいくもんな。なるほどね~!じゃあやっぱり家では必要ないな~~(笑) 売ってんじゃね~~~(笑)

 なんだろうな。なんか、ピザカッター使ってはないけど持っていてよかったことって、なんかないかな。探せばギリギリあるかもしれない。というかあるわ。では、発表します。
  ピザカッターを買ってからというものの、実際に切らなければならないピザを切った実績はないにしろ「うちにはピザカッターがあるからピザも切れるんだぜ」という安心感と余裕がある。備えあれば憂いなし、憂うことがデメリットだからそれを打ち消してくれてはいる。これはデカいかもしれない。
  これってアレだ、貯金とか保険とかと同じだ。実際に出費があるわけではない、実際に病気になったわけでもない、だけど何かあっても大丈夫だと思える。これだわ。これでしかない。日本人にとってピザカッターとは、貯金です。
  ピザを切るときの話じゃなくて、ピザを切るかもしれない日常生活への影響の方がデカい。俺が何を言っているのかわからないと思う。俺もわからなくなってきた。でももしもピザカッターを買うメリットが何かって人に聞かれたら、一番のメリットはそこですって答えてしまうかもしれない。いざピザを切るときのこととかめちゃくちゃどうでもいいな。ほらやっぱ貯金と似てるんだよ。金って使ってナンボなのになんで貯めるの?って。同じじゃん、ピザ切らないのに持ってるピザカッターと同じじゃん。すげ~。そういうことか~。

 あーなんかよく考えたら、ピザカッターがピザしか切れないっていう先入観を俺たちは持ちすぎなんじゃないかとまで思ってきた。
  あれってよく考えたらピザより柔らかいものは基本切れるはずなんだよな。形状として平べったいものであれば切りやすくもあるだろうし、意外とピザ以外を切るときにも使ってみたら役に立つかもしれない。ナンとかチャパティとかロティとかパラタとかさ。あとナンとかね。やっぱこれ俺がピザカッターをナメてただけだ。

  とりあえず俺はピザカッターが必要になるタイプの切れてないピザをまず家で食べてみるべきだよね。可能ならば週1とか週2とかで食べてみるべきだよね。そして試しにナンとかチャパティとかロティとかパラタとかをピザカッターで切ってみるべきだよね。あとナンとかもね。ピザは美味しいからたくさん食べるべきということを教えてくれるし、切れるもの結構あるし、ピザカッターってもはや実用性あるだろ。この件は俺が完全に間違ってたな。さっきは「ピザカッターを持っている人間はアナルビーズを常時着用している」とか言って本当に申し訳なかったと思う。

 なんかこうなってくると「既に切れているピザを更に切ってはいけない」という思い込みもめちゃくちゃ恥ずかしくなってきたな。一体誰がそんなこと決めたんだよ。切れていようがいまいが、そこにピザがある限りピザカッターは使ってもいいだろ。どうして俺たちがその自由を奪われなければならないんだよ。
  ん。え、ちょっと待って。これってもしかして「ピザカッターでピザ切ってから出す人」が悪いんじゃないのか?「切れてるピザ」を存在させている人が悪いだろこれ。
  この日本に存在するピザが「目の前に出てきたときには絶対に切れていないもの」であれば、それが常識であれば、みんなピザカッターは持つだろうし、運ばれてきたらピザカッターが必ずついてくるだろうし、そしたらみんなが「ピザカッターでピザを切る快感」をピザを食べるたびに平等に得られるんだよな。

  うわー。これって「良かれと思ってやったことが裏目に出てるやつ」じゃん。「ピザを切る作業ってめんどくさいから初めから切って出しておくよ」ってさ、ピザカッターでピザを切る快感を知っている人からしたらそのめんどくささよりもピザカッターで得られる快感のほうが勝るケースがあるという事実(そんな事実があるかどうかは知らない)にまでは目が向いていないんだよな。でも優しさゆえか~。せつね~~。

 そうだよ。だってピザカッター買わない人って「だって切れてるピザもあるし」という気持ちから買ってないだけだもん。「包丁でも切れるし」と思ってるわけじゃない。ピザカッターいらずの最初から切れてるピザの登場に無意識に期待を寄せているんだよな。
  でもピザカッター作ってる人たちってあのありのままの切れていないピザのことだけを考えてるはずだから、それを思うと人々がその期待を胸に秘めていてはいけないんだよ。

  もうな、持とう、ピザカッター。全員買おうぜ。全員、持て。それで全て解決。要らないとか要るとかじゃない。持て。以上。では、死にます。

いいなと思ったら応援しよう!