いざなくなると困るものの話
皆さんの家の近くに「歩いて行ける場所」ってなんかあります？ お店とか公園とかね。仕事で疲れてたら近くの飯屋で食べるか〜とか、お菓子でも買いたいなって思ったらコンビニ行くとか、行きたいときにいつでも気軽に行けるって、いいですよね。
俺の家の近くって海のほうというか港のほうで、本当に何にもないんだけど、歩いて行ける距離には結構色んなものがあるんだよね。「探してみるとこんなところにこんなものが！」なんてことも結構あった。
まず、1番近いところにはラーメン屋さんがある。もうここは本当に1番近い。歩いてすぐのとこにある。ガッと出てピッと行ったらもうある。わかります？ ガッと出てピッと行ったらもうあるんすよ。そのくらい近い。クソ近い。
ただね、このラーメン屋さん、そんなに美味しくはない。うん。行くたびに毎回「そんなでもないな」って思ってる。基本的にしょっぱいだけというか、ほとんど塩だね。塩。
いや、塩ラーメンじゃない。塩。食塩。お金を払って塩を舐めるという行為にほとんど等しい。そういう味なの。でも行っちゃうんだよね。近いから。
あとね、量も少ない。麺1玉という概念にもしも定量があるとしたら、間違いなくそれには背いていると思うくらい少ない。「あれ？もうないの？」って毎回なる。スープの中にあるはずもない麺を探す時間が毎回ある。いつでも探しているよ、どっかに君の姿をって毎回歌う。本当に少ないのよ。でも行っちゃうんだよね、近いから。近いってそれだけすごいことなんだなって実感しちゃう。
あと、値段も安くはないな。このご時世におけるラーメン一杯の適性価格ってもうわからなくはなってきてるけど、間違いないなく安くはない。トッピングのないスタンダードなラーメンと、ぶためしっていうチャーシュー丼みたいな奴を頼むと1350円。高くはない。でも安くもない。でも近いから行っちゃうんだよね。
ラーメンの量がかなり少ないからぶためしを頼まざるをえないんだけど、このぶためしも全然美味しくないのよね。チャーシュー丼って名前じゃないのは、ご飯の上に乗ってるのがチャーシューじゃないからなんだけどさ、なんか豚肉がシーチキンみたいな形状をしたものが乗ってるのよ。見たことないよあんなの。チャーシューを作るときの切れ端を、更に切れ端にしたみたいな感じ。更に切れ端にする工程の必要性を俺は感じないけど、見た目はそんな感じ。そしてこれもしょっぱい。しょっぱいけどマヨネーズも添えられてる。まぁ、これも塩だね。塩。そのぶためしが400円だったかな。ノートッピングのラーメンは950円。
つまり俺は、950円の塩と、400円の塩を頼んで、塩を舐めながら、塩を舐めてる、ということになる。でもたまに行っちゃうんだよね。近いから。
まだ死にたくはないよ。
あとインドカレー屋さんもある。ここはラーメン屋さんの次くらいに近いかな。家の近くの交差点のとこにあってさ。交差点って十字だと角が4つあるじゃないですか。1つの角がラーメン屋さんで、その対角線上にあるのがインドカレー屋さん。
対角線？ 斜向かい？ この位置関係にある物たちの関係性を正確に示す日本語を俺は知らないんだけど、とにかくそこにインドカレー屋さんがある。あるんです。
ここは普通に美味しいし、ナンもデカい。そして安い。ランチだと800円とかで食べれるし、夜でも1000円くらいで食べれる。行く度に毎回めっちゃお腹いっぱいになる。カレーは美味しい上に、ほうれん草カレーだったりバターチキンカレーだったり、マトンカレーだったり、種類もたくさんあって、辛さも選べるんだよね。まぁインドカレー屋さんって時点で美味しくないってことはほとんどないんだけど、ここは満足度高くてよく行くんだよね。
これ、気付きました？
このインドカレー屋さんって、さっきのラーメン屋さんの全部逆なんですよ。「美味い、安い、塩ではない」の三拍子が揃ってるんですよね。「もしかして、ここってインドカレー屋さんじゃなくて逆ラーメン屋さんなのか？」って最初は思ったし、なんなら今でもそう呼んでる。
これね、交差点の位置関係が、そのまま店の内容の関係性を示しているんですよ。これすごくないですか？ 俺、これに気付いたときガチで感動したよね。家の近くにこんな伏線が張られてたんだって。よく考えたらね、店員さんもラーメン屋は日本人で、インドカレー屋さんは日本人じゃない。逆なのよ。いやー、カタルシスがすごい。
だから俺は考えたよね。このインドカレー屋さんが逆ラーメン屋さんなのか、あのラーメン屋さんが逆インドカレー屋さんなのか、一体どっちなんだろうって。
片方が先に存在していたところに、後から来たほうが、交差点の位置関係を考慮して「よっしゃ！全部逆にしたろ！」って思って、全部逆にした。そんなわけがない。あるわけがない。
つまりね、ラーメン屋さんとインドカレー屋さんは、裏で繋がってるんですよ。じゃないとおかしいから。そうやって交差点に伏線を張って、近隣住民を試している。回収されることを望んでいるわけよ。
まぁ博打ではあるよ。うん。だって先にインドカレーを食べるかもしれないからね。いわゆるネタバレだよ。インドカレー屋さんに先に行くってネタバレなんですよ。
でも、そのイチかバチかの向こうにしかない感動があるんですよ。俺はそういうのを大切にしたい。
だから俺もそれに気付いてからは、ラーメン屋さんに行って美味しくもないし量も少ないし安くもないラーメンとぶためしを食べるときに「これは伏線だから」と思うようになった。店内には何も知らない客しかいないんだけど、俺だけは気付いてる。ニヤニヤしちゃうよね。ニヤニヤしながら、塩を舐めながら、塩を舐める。1350円払って。
でもこないだ久々にインドカレー屋さんに行ったら、店員さんが「ちょっと国に帰らないといけなくて、店を閉めます」って言ってきたんだよね。
え、店員さん……。
そんなに日本語が流暢だったんですか？
いやこのご時世そんな発言はダメだと思うんだけど、すごいびっくりした。いつもはもうちょっとカタコトな感じで喋ってませんでした？え、もしかして、日本人がそういうのが好きだからって、知っててわざとやってたんですかあと伏線の回収パートはどうするんですか？！
伏線張るだけ張って、風呂敷は広げるけど、風呂敷は畳まずに店だけ畳むなんて。読者の俺たちは一体これからどうすればいいんだよ。
ただ、塩を、舐めろ、と？
だから今、インドカレー屋さんやってないんですよ。伏線が回収されなくなるということに驚きすぎて、お店を永久に閉めるのか一時的に閉めるのかという1番大事なところを聞き忘れてしまった。とにかく今はやってない。悲しいね。
そんでね、その交差点の一角をファミリーマートが担っていてさ。俺はもうそのファミリーマートにめちゃくちゃお世話になってたんだけど、今年の頭に潰れちゃったんだよね。これもとても悲しい。
最近自炊したくて、コンビニよりもスーパーに行ってたからさ、久々に仕事帰りに寄ってみたら「潰れます」って張り紙がしてあってびっくりしたよ。このコンビニが潰れるなんて思わないもん。悲しすぎる。
一応歩いて行ける距離にセブンイレブンとローソンもあるんだけど、そこは少し遠くてさ。ファミリーマートがあまりにも近すぎたせいでその距離を遠いと言わなきゃいけないのが心苦しいと思うくらいの距離にセブンイレブンとローソンがあるんだけど、俺はそもそもコンビニの中でファミリーマートが1番好きなんだよ。1番好きで1番近いものがなんでなくなるんだよ。恋人になったら冷めましたみたいな。近すぎるのもダメですみたいな。人間関係じゃないんだからさ。コンビニは人間関係と違って、近ければ近いほどいいんだよ。コンビニは人間関係じゃない。
これ、本当に悲しくてね。当たり前にそこに在ると思ってたものって、いざなくなるとこうも辛いものなのかって、つまりコンビニって人間関係と同じなんですよ。コンビニは人間関係です。
あと、美容室もある。あったのよ。これは意外と便利。通ってる美容室が遠いと、美容室に行く日が大きなイベントみたいになっちゃうんだけど、近いとサッと行けて本当に便利。美容室に行った後にお出かけできる時間を作れたりね。これが結構良いんだよね。
ただ俺、髪伸びるの早くてさ、だんだん切るのが面倒になってきちゃったから、ここ2年くらいはロン毛で過ごしてるんだけど、こないだその美容室に久々に行ったんだよ。そしたら美容師さんが「この美容室、今月いっぱいで閉めることになりまして」って言ってきて。
うーん。まぁ、いいかな。許容範囲かな。
コンビニとインドカレー屋さんは、なくなるとめちゃくちゃ困るから、閉めるってなったときに「なんでですか殺すぞ」って食い下がりたくなったけど、美容室は別にいいかな。ほら、なんの伏線も回収してないしね。あったほうが便利だったけどね。お疲れっす、って感じ。
あとね、ボルダリングもある。ボルダリングができる店。行ったことない人もいると思うけど、ボルダリングはかなり楽しい。体力ないとすぐに全身バキバキになって身動き取れなくなるくらい全身を使うんだけど、やっぱすごい良い運動になるんだよ。健康になる。「健康になりたいならまずお金を払って塩を舐めに行く行為をやめろ」って思うよね。俺もそう思うわ。
最近仕事が忙しくてなかなかボルダリングも行けてなかったんだけど、こないだ久々に行ったらインストラクターの人が「この店、3月で閉めることになりました」って言ってきてさ。
お前も？って思っちゃった。え、お前も閉めるの？って。
インストラクターの方からしたら「何が？」ってなると思うんだけど、俺からしたら「お前も？」なんだよね。お前も閉めるんですかって。せっかくたまに良い運動ができる場所が歩いて行ける距離にあったのにね。なんか残念だなぁと思ったよ。あとやっぱ「お前もかぁ〜」と思った。本当に。遠くにボルダリングあってもなかなか行けないからね。「家の近くにある」って、本当に便利で素晴らしいことなんだなぁと思ったね。
あのさ、これ俺家賃安くなってもよくない？
最寄りの店なくなりすぎだろ。なんかもう話が違うじゃん。「場所はこの辺だけど〜歩いて行ける距離に色々あるんで〜立地を考慮してこれくらいの値段かな〜」という感覚が家賃の価格設定に含まれているとしたら、安くならないとおかしいと思う。こっちにはもう塩舐めさせるラーメン屋しか残ってないんだよ。伏線の張るほうしか残ってないんだよ。せめて家賃安くしてくれよ。3000円くらい安くなってもいいと思うよ俺は。
あとなんでどの店も俺が久々に行くまでは閉まらないんだよ。俺が行かない間に閉まりましたみたいなケースもあるはずだろ。なんで俺が久々に訪れるのを待ち、宣告をし、それから閉まるんだよ。勝手に閉まれよ。いや困るから閉まるなよ。
……俺が行かなくなったから閉まるのか。どの店も、あんまり客がいないから、俺が通うという行動が店の利益として欠かせなくなっていたのか。だから「お前のせいだけどな」って言いたくて、俺を待っていたのか。インストラクターの人は関西弁だったから「お前のせいやけどな」って言いたかったのか。
まぁね、これを機に俺はもうちょっと家の近くのお店に通おうと思うようになった。失ってからでは遅いからね。
まぁそれでね、そういった「家の近くにある店」みたいに、「あって当たり前だと思ってたけどいざなくなったら困るものの第1位」って知ってます？ 俺、知ってるんだよね。1位。なんだと思う？
時計。これが1位なんだよ。
もっと言うと、時計そのものではなく、時間を知ることができる手段のことを指す。スマホでもテレビでもいいし、なんなら太陽でもいい。とにかく人間は、今何時なのかという情報を自然に摂取できない環境、これを1番怖いと思うし、不安になるんだよね。
というのも、こないだ自宅でね。俺の家って1階だから、通行人の目を気にしていつもシャッターを閉めてるのよ。洗濯機に乾燥機能もついてるし、ベランダに出ることはないから全然良いんだけど、シャッター閉めてると陽の光が入ってこないんだよね。朝が来てもわからないんです。
とはいえ部屋に時計はあるし、スマホもテレビもあるんで、普段は時間がわからなくて困るということはないんだけど、こないだ起きたら部屋の時計の電池が切れててさ。デジタル時計だから、画面が消えてて、一瞬で電池切れてることがわかる。(もしもこれがアナログだったら、嘘の時刻を一瞬信じるという無駄な時間が生まれるので、デジタルで良かったなと思う)
そんで急いでスマホ見たんだけど、充電し忘れて寝てたからスマホも充電が切れてる。人間って、目が覚めてこの状況になったとき、とんでもない不安が襲ってくるんだね。恐ろしいほどの不安と焦燥に見舞われたよ。
まぁ冷静に考えればテレビをつければいいだけなんだけど、寝起きだからね。寝起きって1+1が5じゃないですか。だから俺は「ヤバい！仕事寝坊したかも！」って不安になって、それで頭がいっぱいになっちゃって、パニックになって、とりあえず玄関のドア開けて外に出たんだよ。
もう全然夜だった。星、綺麗。オリオン座。
思い返してみると、仕事から帰ってきて風呂入ってご飯食べて、そのまま普通にベッドで寝ただけだったし、なんなら明日休みだったわって思い出して笑い出しちゃった。おそらく真夜中だということしかわかっていない状況の中でも、今が夜だということがわかっただけで、俺は人間に戻れたんだよ。
まぁつまりさ、知ろうと思えばいつでも時間を知ることができるって、人間にとってすごい大切なことなのよ。時計見てスマホの充電切れてることを察知してから外に出るまでの俺って、一瞬「時間という概念から切り離された存在」になったわけだけど、あの時間の恐ろしさったらない。
刑務所で集団部屋にいた人間が、悪さをすると独房にぶち込まれる理由がよくわかったよ。独房って窓も時計もないんだろきっと。看守に「今何時ですか」って聞くことだけが救いになっている空間なんだろ。罰として機能しすぎなんだよな。
なんか、あの時間だけ俺無意識に「精神と時の部屋」みたいなところに行ってた気がする。こうさ、人間が定期的に時刻を知るという行動を取るのって、世の中に流れている時間という概念と、己という存在の軸を合わせるのに必要な行為なんじゃない？ 時計ってそのためにある気がしてきた。
え、これもしかして、俺の部屋の時計が止まってて、かつ俺が寝てる間とかって、時間という概念から俺の存在が切り離されてたりします？ 最近電池切れとかじゃなくて時計結構調子悪くて、たまに画面消えたりしてたんだよね。そのタイミングで、俺はこの時間軸にいないことになってたりしない？ 別の時間軸に行って、そこで時間を過ごし、時計が直ったタイミングでこの時間軸に戻って来てる、みたいな。
俺の髪が伸びるの早かったのってこれが原因？
いやそうだろ絶対。俺は俺の部屋の中で、シャッターを閉めて生活していて、時刻との繋がりを時計に託していた。そんな中で時計が不調になり、俺は度々、自分でも気がつかないうちに、時間という概念から切り離された存在になってた。そして時刻を知る度に、この世界に戻ってくる。その間に、俺は人よりも時間を長く過ごしていたんだよ。だから髪の毛が伸びるスピードが人よりも早かったんだ。美容師さん伏線じゃないとか言ってごめん、すごい大事なことだった。また店開いてくださいお願いします。
これまずいな。俺もうシャッター開けて生活しようかな。だって怖い。太陽さえあれば解決するんだから、開けたほうがいいと思う。カーテンがないわけじゃないし。遮光1級みたいなカーテン使ってるし、シャッターは開けててもいい気がしてきた。うん、シャッターを開けて生活しよう。
いや引っ越したほうがよくない？
この家に住むメリットないだろ。なんなんだよ。コンビニもインドカレー屋もなくなって、塩を舐めて健康を積極的に害するための近くの施設に通い、無意識の間に時空から切り離される家に住むって。
「あって当たり前だと思ってたけどいざなくなったら困るものの第2位」は「家」ですからね。
人は、安心できる家に、住むことが、大切。