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安心という味

朝食の目玉焼きを焼いている最中のことだった。

「両面焼いてね」

当時の恋人にそう言われて、俺はまったくその言葉の意味を理解できなかった。

「どういうこと?」
「だから、ひっくり返して両面焼いてねってこと」

そんな目玉焼きあるわけないだろと思いながらも、言われるがままに両面焼いた。動揺でひっくり返すのに失敗したし、別に両面焼かなくてもいいはずの俺の分までひっくり返してしまった。

お皿に盛り付け、食卓へ運ぶ。食べてみても別に不味いと思うわけでもない。でも両面焼きが当たり前ではない俺にとって、それは目玉焼きではなく別の料理だった。

今ではそういう焼き方もポピュラーであると知っているけど、片面焼きの目玉焼きしか食べたことがない、見たこともない俺にとっては、本当に意味のわからない食べ物だった。

聞いたところによると、彼女の両親は「火の通りきっていない卵を食べる奴は雑魚」という思想を持っていたので、半熟卵や生卵が実家の食卓に出てくることは一切なかったらしい。すき焼きを囲むときも生卵はNGで、何にもつけずに食べる。まぁそれは正直、味の面で同意できる。

そんな感じで目玉焼きも完全に火が通る両面焼きが当たり前で、彼女はむしろそれしか食べたことがなかったらしい。そういう家庭があるのもわかるし、育ってきた家庭でそういった嗜好が決まるのは当然のことだろう。

ただ、俺はその両面焼きの目玉焼きを焼くまで、彼女の前で何度も半熟の卵を食べていた。もしも彼女が両親と同じ思想を持っていたとしたら、そんな俺を彼女は「雑魚」と思っていたのだろうかと思うと、とても悔しい気持ちになった。

だって半熟うめえだろうが。あの黄身がトロトロ出てくるのがいいんだろうが。口の中でトロトロするのがいいんだろうがよと、別に特段好きでもない卵の肩を持ってしまった。

そもそも卵だって生まれたときはあんな火で焼かれるとか思ってないよ、などと、より意味の分からないことを思ってしまったりもした。

幸いなことに、その時もその後も「卵の火の通り加減の好み」なんていう些細な事で二人の関係に亀裂が入ることは一切なかったのだが、ある日1つの事件が起きる。

彼女が友人とご飯を食べに行った際に、半熟とろとろのオムライスを食べてしまったのだ。メールでそれが送られてきたとき、俺はまるで彼女が交通事故に遭って怪我でもしたかのように「大丈夫!?」と返信しまった。そりゃ大丈夫だろ。

そんな俺の心配とは裏腹に、彼女はとても嬉しそうに「世界が変わった。あれは雑魚ではない。高級魚だ」と返してきた。わざわざ開かなきゃいけない半熟卵の扉なんてあるんだ、と思ったし、雑魚というワードをそっちの意味で使用したうえで対義語を持ってくるケースってあるんだと思った。それから彼女は半熟とろとろのオムライスの信者になった。

しばらくして、また目玉焼きを作る際に彼女に確認した。「両面焼く?」と。

「んー、うん。まだちょっと怖い」

そうだよね。
ジェットコースターが大丈夫だったからって全部の絶叫マシーンが大丈夫ってことにはならないし、リングが観れたからって呪怨も観れるとは限らないもんね。
俺は丁寧に両面焼いた目玉焼きを食卓に運んだ。

「あー。やっぱこれが安心するわー」

まぁ、結局そういうことなんだよな。多分、誰もが同じだ。

今でもたまに両面焼きの目玉焼きを作ることがあるが、その際は塩コショウではなく、ソースで食べている。

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