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時間について考えた

SF最高傑作とも名高いインターステラーをIMAXで鑑賞してきました。

語れば長くなるのでここでは割愛するけど圧巻だった。

相対性理論っていうのが1つのテーマになってたように感じたけど、時間って相対的だなって感じる機会が最近複数あったので記録用に書こうと思う。

インターステラーは、3時間弱にも及ぶ長編映画。
側から見れば、3時間⁉️長過ぎ❗️となるだろう。

しかし、劇場内であの映画をあの大迫力のサウンドであの映像で見た場合、え?もう3時間経ったの?となるはずだ。

実際最後、クライマックスシーンの後さらにもうひとくだり、映画で言うと救出するパートまで描くのだろうか?と思ったほどである。体感は1時間半にも満たなかった。

15:00より鑑賞をはじめ、18:00に終了。
軽い時差ボケを感じた気がした。

一方、その時間働いているモール内の人を見てみると同じ人が同じように接客をしながら立っている。

彼等彼女等の時間の経過速度は間違いなく自分が映画を鑑賞していたそれとは比にならないくらい遅いだろう。

同じ3時間が、5時間にも、10時間にも永遠にも思えるようでもおかしくない。

時計というものが、我々に共通の指標としての時間、というものを定義してくれてはいるが実際そんなものただの数字でしかないのかもしれない。と思った。

人それぞれ、各々に違う各個人ごとに時間軸があるのだ。きっと。

もしかしたら、同じ時間に出社しろっていうのもナンセンスだし、何時間は寝ろっていうのもナンセンスなのかもしれない。

楽しい時間はあっという間。
苦しい時間は永遠かにも思える。

多分、いつまでも若々しい人って自分だけのあっという間な時間軸で生きてるからなんだろう。

成功してるビジネスマンも、自分の中の時間軸での限界に取り組んでいるからなのだろう。

僕の時間はどうなのかな。
人よりゆっくり進んでいるかもしれない。
生き急ぎすぎなのかもしれない。

だけど比べても意味がない。
人間とアリの時間の流れの速さが違うように、
自分と友人の時間の流れ、自分と上司の時間の流れ、自分と恋人の時間の流れ、それぞれ違うだろう。

時間の流れが似ている家族との居心地がいいのはそのせいなのかなって思ったりもする。

自分の時間軸を、どう生きるか。
それが今集中すべきことだなと思う。

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