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【二部構成】死んだ猫、空の心。そして第一次リュック被り問題

はじめに

僕が小学生のころからずっと一緒にいた愛猫がこの世を去りました。
その時思ったことをここに残していこうと思う。
でもまぁ、あまりいい話ではないし、もう気持ち切り替えてるし、これからも馬鹿みたいに適当な日記を続けていきたいので、今回はもう一つの日記「第一次リュック被り問題」を収録しました。

以下本編です。



死んだ猫、空の心

 うちで飼っていた猫の「その」が死んだ。僕が小学生の頃には既に居たので10年以上苦楽を共に過ごしていた、まるまる太って弛んだお腹が最高に可愛かったが、年を取ってからはみるみるやせ細って、その日の前日からもう立つことがままらなくて、歯が抜け落ちた口では水すら飲めず、毛づくろいも上手くできないからか、体から変な臭いがした。

いつもより細い声で高く鳴く猫は、本当に僕の知っている猫なのか分からなくなってしまった。

「そのちゃん」と呼んでももう、尻尾をパタパタ振ってはくれなかった。

亡くなる直前、そのは鳴いていた気がするし、ぱたりと静かにこと切れた気がする。動かなくなった姿を見て、僕は(やっとかぁ)と何処か安堵していた。立てなくなって、立とうとするとバランスを崩して倒れてしまう姿を見て限界だった。もう楽になってほしかった。今もどうすれば良かったのかずっと悩んでいる。

もっとちゃんと動物病院に連れて行ってやるとか、寝る時に漏らしてもいいからそばに寄ってあげるとかしてやれば良かったのかな。

あーあ、ごめんね。本当はDr.ヒルルクを失った時のチョッパーみたいに大泣きしてもいいのに、全然泣けやしなかった。飼い主失格だねこれ。

タオルで硬くなったそのを巻いた後、どうしようもなくなって無心に、いつも餌をあげてるスペースを片付けようとして餌やり場に向かったが、キャットフードにはコバエが集って、シバンムシが幾つか生息していた。もうとっくに自分の口じゃ食べれず結果的に放置される形になっていた。

もう遣る瀬無かった。もっと僕たちがちゃんとしていればもっと長生きできたんだろうか。いやできたはずだ。それなのに僕は「もう見てられないから」とか自分本位の理由で半ば死を肯定していた事に吐き気がする。

どこまでも僕は自分勝手で、そのちゃんの事を思い出そうとすると幼いころの元気な姿しか思い浮かばない、失った後に気が付くだなんてありきたりだけどこんなに思い知らされるだなんて思わなかったよ。

でも何度考えたってもう戻ることは無いし、きっとこれからペットを飼う事なんてないだろうな。無責任も良い所なのでそろそろ考えることを辞めにする。

これはそのちゃん

どうせ忘れない。忘れないことが、僕にできる最後の抵抗なのだから。

終わり。

第一次リュック被り問題

 さ、変な空気のまま終わらせるのも今後の活動に影響しそうなので今回は宣言通り二部構成ですよ。どうもさばみそです。

僕はもう大学でテストも課題もすべて終わってしまって、宿題もない正真正銘の夏休みを過ごしている。大学生の夏休みは長いとはよく言ったもので、現時点でも夏休みは一カ月以上残っている。

フリーザ様くらい余裕と変身を残しているのだが、このままのらりくらり適当に過ごすのはいかがな物かと僕は危惧している。

ここは大学生を体験してみて、一番感じていた事を振り返ってみよう。

一番感じていた事、それは大学でいつも使ってるリュックサック、これが良く他の学生と被っててかなり気まずいという事である。

いつも使ってるリュック、それはnordaceさんのスマートバックパックだ。因みにプロフのバナーにちょっと写ってる。

こいつは高校時代、駅内のショッピングモールで店員さんに「売ってるのはここくらいしかないですよぉ?」的な誘い文句を受けたのが始まりだった。

当時四角いリュックが欲しかったミーハーさばみそは、誕生日も近かったので孫の立場を利用して祖母に買ってもらった。

「売ってるのはここくらい」=手に入れれば俺だけの物に違いないという思考回路でいっぱいのさばみそ(17)はその優位性でどこまでも行けると思っていたが成長するにつれ、別に「ここ」以外でも売ってる所は腐るほどあることが分かってしまったし、僕の様な思考回路をもって買った人も腐るほどいるということが分かった。大学では一日に一回は同じリュック背負った人を見かける始末だ。

どこに行こうがどう思おうが「自分だけ」という事なんて絶対なくて、今後こういう事ばっかりなのかと思うと人生嫌になる。

どうして気まずいのか、それはおそらく全然話のネタにならないからだ。

よく考えてみて欲しい、同じ服ならギリギリブランドの話題でネタになるかもしれないが、リュックはマジで被っても立ち入る隙が無い。話しかけようにもどうすればいいのか分からない。

よく考えても、
僕「あ、リュック同じだね(笑)」
知らない人「え?あぁ、どうも(?)」

こうなるに違いない。

カバンで広げられる話なんてあるだろうか、どこで買ったとか?一昔前のyoutuberみてぇに中身の話とかすればいいのか?えぇ?

きっと被った相手も同じことを考えているに違いないし、むしろそう思っていて欲しい。目が合った時に感じるあの動揺と「ツッコんではいけない」ような空気感は、きっと僕だけでは形成し得ないだろうから。

まぁ、この第一次リュック被り問題は気にしすぎな面が多いが、こうも周りと似通っているのはあまりいい気分ではない。

「人と違う」に憧れ続けるその精神は、まず間違いなく直すべき欠点であり、向き合わなければ第二次、第三次と連綿する問題に直結していくだろう。

皆さんは程々に、同調できるところは同調していきましょう。

おわりに

 今回は私情で二つの日記を同梱しましたが、どうでしたかね?
まぁ底辺も良い所なんで感想を求めても仕方がないのだけれど。

この記事を作るにあたって思ったことは「あれ、僕って結構カスじゃない?」ってこと。まぁ、ここでいうのもなんだけど僕はnoteで記事を作る時「人間なんて所詮こんなもんよ」という意味を込めて半ば自虐を入れながら文を考えている。

その割にはボキャ貧なもので、似たようなセリフ回しができてしまう事もチラホラ…まだまだ構成力も語彙力も足りない所は自覚していますが、これからもnoteで活動する予定ですので、もしよかったら応援よろしくお願いいたします。

終わり。

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