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令和7年に考える平和について〜原爆ドーム見学体験記〜(前編)
皆様、こんにちは。焼鯖です。
先週の記事で、旅行に行くと書きました。有言実行しました。
旅行先は、島根県と広島県です。
出雲大社→原爆ドーム→平和記念資料館→広島城のコースです。
今週と次週、2週に渡り、原爆ドーム及び平和記念資料館での体験記を語ります。
前編である今回は、原爆ドームの概要について、後編である次回は平和記念資料館に行った感想を語ります。
①原爆ドームとは?
原爆ドームと呼ばれるこの建物は、1915年(大正4年)、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、広島県物産陳列館として完成しました。その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と名前を変えました。県内の物産の展示や即売、商工業に関する調査・相談業務を行った他、美術展や博覧会などの文化事業の会場としての役割も果たしました。
1945年(昭和20年)8月6日8時15分、米軍機B29により、一発の原子爆弾が広島へ投下されました。約14万人(1945年末まで)の尊い生命と広島の街並みを消し去りました。勿論この建物も大被害を受けました。この建物の頂上がドーム型をしていたことから、戦後、市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。
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②原爆ドーム、戦後の歩み
現在、原爆ドームは、核兵器の恐ろしさを伝える歴史の証人として、保存されています。世界遺産にも登録されています。
しかし、最初は皆が保存に賛成していませんでした。原爆ドームの存在が、被爆の悲惨な思い出につながるという理由から、取り壊しを望む声もありました。両者の狭間で、原爆ドームは放置され、建物の劣化だけが進みました。
そんな中、とあるものがきっかけで、保存の機運が高まりました。それは、1歳の時に被爆し、その15年後に亡くなった方の日記でした。これを受けて、広島市は昭和40年(1965年)7月から原爆ドームの強度調査を行いました。昭和41年(1966年)7月、広島市議会が原爆ドームの保存を要望する決議を行いました。昭和42年(1967年)、第1回保存工事が行われました。以降、今日(2025年1月10日現在)まで3回保存工事が行われました。加えて、原則3年ごとに健全度調査という劣化具合を調べる調査も行われています。
③世界遺産に登録されるまで
時が流れ平成時代に。
1992年(平成4年)、広島市議会が「原爆ドームを世界遺産リスト登録することを求める意見書」を採択しました。これを受けて、広島市は国へ要望書を提出しました。しかし、壁が存在しました。当時、国は、世界遺産として国が推薦するためには、文化財保護法(原爆ドームの場合)のような国内法の保護を受けていることが前提としていました。当時、原爆ドームはその保護を受けていませんでした。また、史跡の文化財指定に関しての基準は、当時、明治中期までとされていました。原爆ドームは歴史が浅かったのです。
そのような中、1993年(平成5年)6月、市民団体からなる「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」が結成されました。原爆ドームの世界遺産化を求める国会請願(※1)のため、全国的な署名運動が始まり、結果的に集まった署名は国会に提出されました。1994年(平成6年)1月に参議院で、6月に衆議院で、それぞれ原爆ドームを世界遺産に推薦する請願が採択されました。また、国は1995年(平成7年)3月、史跡指定の対象を明治中期から第2次世界大戦終結までに改正し、6月に原爆ドームを史跡に指定しました。これにより、世界遺産に推薦する条件である国内の保護法に守られているという条件を満たしました。
そして、遂に1996年(平成8年)12月、原爆ドームの世界遺産登録が決定しました。
※1:憲法に規定された制度。国民が、国会に対して直接国政に対する要望や苦情を述べることができる。日本国籍の方は勿論、日本国内に在住の外国人もできる。
参照:参議院ホームページ https://www.sangiin.go.jp/index.htm
今回はここまでとなります。ちなみに原爆ドームの近くには、平和記念資料館という施設が存在します。こちらでは、原爆で被害を受けられた方の遺品や写真、絵などの資料が展示されている他、原子爆弾や原爆投下の背景のような基礎知識から戦後の核開発の歴史なども学ぶこともできます。詳細は、次週の記事でお伝えできればと思います。
後編は、1/17(金)に投稿予定です。では、また👋
・参照:
①広島市公式HP https://www.city.hiroshima.lg.jp
※当記事は、広島県のホームページ始め、信頼に足る公式サイトの情報、実際に見聞きした情報や資料を参考に、事実のみを記載しています。特定の団体を指示したり、偏った主義主張を提供するものではございません。