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デジタル庁の創設に触れて。

 菅内閣が2020年9月16日に発足した。硬いことを多少記すので無理にお付き合い頂かなくとも結構だが、2006年9月26日の第一次安倍内閣の発足から約14年後になる。その当時、国会で教育基本法の改正と、防衛庁の防衛省への再編に向けた法案が3ヶ月ほどで成立した。2006年の年の瀬、安倍晋三は宰相として「民主主義の成熟」を口にしたのだった。

 小渕内閣の下で自公連立政権は発足し、民主党の3年3ヶ月の政権交代はあったものの、1999年10月5日から2009年9月16日までの約10年と、2012年12月26日から2020年9月18日現在までの7年9ヶ月足らず、合わせて約17年9ヶ月自公政権が継続している。菅内閣もこれから向こう1年は衆院の任期まで恐らく続くのだろう。

 1999年8月小渕内閣の下で、住民基本台帳法の一部を改正する法律が交付され、それに基づき2003年8月5日住基ネットの稼働が始まり、都内の国立市は2011年4月24日に住基ネットの再接続を訴えた市長が当選するまで、このシステムに加わることを否定してきた。国立市では、2012年2月1日から、議会で再接続の補正予算が可決された後に漸く再稼働の運びとなった。福島県矢祭町は2015年5月30日から接続した。しかし、このような自治体は稀であった。

 住基ネットの稼働に際しては、住民訴訟も起こされ、2005年5月30日金沢地裁は本人確認情報が自己情報コントロール権の及ぶものとして認め、原告の損害賠償は退けたものの、住基ネットからの個人情報の削除を命じる司法判断を示していた。翌2006年11 月30日第一次安倍内閣の下、自治体が個人が求める住基ネットからの離脱の訴えを経済的合理性を理由に認めないことは違憲であるとした高裁判決も示されたが、最高裁がこれを2008年3月6日合憲として退けた。つまり、紆余曲折があったのだ。

 日本の縦割り行政や行政事務が、デジタル化に立ち遅れていることが問題視され、確かにそのことは改良の余地がある事実だとしても、国家が個人の人権を保障し、その自己情報のコントロール権を無用に侵害することがないように、慎重にデジタル化を図ることは大切な視点なのである。第二次安倍内閣の発足以降に、結局マイナンバー制度は閣議決定により導入が決まった。だから、ツラツラ述べてきたことはどの程度慎重に検討が重ねられているのか定かではない。発足が予定されている「デジタル庁」なるものも、市民生活の利便性と安全性の双方をどの程度バランスとって進められてゆくのか、心許ない。与党きってのデジタル通の評判程度で、どれ程考慮されているのかは怪しいと思わざるを得ないのである。

 平井文夫(フジテレビ)なる人物は、「個人情報の問題があり日本の行政のデジタル化にはあまり進展は見られないだろう」とした旨、テレビで偶然語る姿を目にしたが、それは的を射た指摘に思えた。普段この人物の言動にあまり筆者は感心していなかったが、それには「まともなことを言うのだなぁ」と感心してしまった。デジタル庁は2022年4月の発足を目指すと耳にしたが、それが現実に発足したとしても、それは法治国家としてのあるべき姿、公文書は改竄されない、労働統計の様に議論の前提となる資料が不正に作成されることがない等、法令遵守されて当然のことが守らなくてはならないのは言うまでもないだろう。

 既に、巧妙な手口によるインターネットに接続した銀行口座から預金を引き出す、個人の自己情報コントロール権の侵害に抵触すると思われる事態も招いている。この状況を招いていること自体が、実は事前の新たな仕組みの青写真や制度設計に不備があったことを意味している。どの様に丁寧に制度を整えても、想定していなかった事態は起こり得るとはいえ、これは筆者自身に当てはまることなのだけれど、この様なデジタル機器を使用することが猫に小判といった状態で、デバイスと呼ばれる機器が市民に広がるのは、未然に不正を防止することが難しい状況を発生させていたとも言えるだろう。筆者も銀行のクレジットカードの管理部門から問い合わせを受け、身に覚えのない買い物を指摘され、その機能を停止して新たにカードを作り直したことがある。

 何か、新政権の目玉が欲しいと言った為政者の心理はわからないではないが、それにさして期待は寄せられないと感じるのは間違っているのだろうか…。

 

 

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