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2020年12月24日安倍晋三会見に触れて

 議員辞職勧告決議が国会でなされることが適当ではないかと思った。個人の見解だから、きっと偏った意見に違いない。しかし、数ヶ月前まで現職内閣総理大臣であった人物が、この日に自らの政治活動に関する虚偽発言を繰り返してきた謝罪がなされるのは、偶然ではないのだろうと思った。

 極東国際軍事裁判の判決に基づき、東條英機、広田弘毅らが処刑されたのは1948年12月23日のことだから、それから72年が経過したことになる。つまり、それは明仁上皇(1933年12月23日)15歳の誕生日から同じ時間が経過したことを意味する。1945年9月2日に、戦艦ミズーリ上において重光葵が全権大使として降伏文章に調印し、敗戦国としての歩みは始まった。年の瀬に首相経験者の近衛文麿が服毒自殺し、1946年1月1日には天皇の人間宣言なるものが官報をも使って国民(ないし臣民)に対してなされた。同年11月3日日本国憲法は公布され、翌1947年に教育基本法、それから日本国憲法が施行されてゆく。

 敗戦後の国の新たな歩みが始まる一方で、戦争責任を巡って東條英機等の処刑はなされた。東條内閣で商工大臣を務めた岸信介の孫が安倍晋三に当たるが、敗戦後の国政運営で祖父に続いて内閣総理大臣に就任したことになる。捉え方は千差万別かもしれないとしても、昭和天皇の戦争責任を代理するかの様に東條英機等の戦犯としての処刑はなされた様にも思える。そもそも、戦争犯罪を問うことが処刑によって償われたことになるのか、そこは確かに疑問である。結局、歴史的には真珠湾奇襲に踏み込むことになった東條内閣の閣僚を務めた人物の子孫が、日本憲政史上最長の在任期間となる内閣総理大臣を務めた訳であり、虚偽答弁は結果的にその在職中になされた。

 少し乱暴かもしれないが、日本列島に誕生した近代国家では何かが決定的に変わってはいないのだろう。20世紀に極東の小国が、21世紀になっても覇権を争う中国と米国を同時に敵として起こした戦争。無謀でしかなかった戦争が遂行され、敗戦を迎えた後も、何がその戦火の被害を広く国土にもたらすことになったのか…。戦争責任問われ処刑された戦前の政治指導者等が処刑された12月23日(前天皇誕生日)に、日本のマスメディアでそのことが振り返られることは見られなかった。何かが決定的に忘れられている気がする。東日本大震災などの災害の記憶が風化するのと同様に忘れられてゆく…そんなことが起きてはいないだろうか。私自身もひょっとしたら、その忘却に加担している一人かもしれない。少なくともその現実が私自身を含めた自らの周りにあることを自覚しておきたい。

2020年12月24日20時ちょっと過ぎ
2020年12月25日22時50分過ぎ修正
2020年12月26日21時20分過ぎ修正
2020年12月27日8時過ぎ修正

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